ADRA Japan 「ラオス便り」

水曜日, 6月 21, 2006

ラオスの歴史とモン族

おひさしぶりです。さて、最近、私の心のテーマにもまれになる、モン族。

ベトナム戦争が終結して今年で31年。米軍がベトナムで軍事介入を本格化させる前から、米中央情報局(CIA)は隣国ラオスで「秘密戦争」を展開していたといわれている。CIAはラオスの山岳民族モン族に軍事トレーニングを行い、北ベトナム軍や共産勢力との戦闘に赴かせた。
75年8月にラオスの首都ビエンチャンが陥落。敗れたモン族はラオスで「裏切り者」として迫害され、約20万人が国外に脱出した。

よく、ラオス人が「アメリカに親戚がいる」という。この人たちは、ベトナム戦争後にアメリカに逃れた人々、もしくはその人々の子孫なのかなあと思う。もちろん、「その人たちってモン族なの?」とは聞いたことがないけれど、その可能性は多いと思う。

 1953年10月、ラオスはフランスから独立。その後、親米派と共産勢力との内戦が激化。62年、ラオス中立を定めたジュネーブ協定が調印された。ジュネーブ協定によると米軍は戦闘部隊をラオスに派遣できなかったという。そのため、CIAはモン族に武器と資金を供与し、ゲリラ戦を展開。モン族約3万5000人が戦死、5万人が負傷したといわれている。つまり、モン族は言い方が少し悪いが、アメリカに味方し、最終的には国を負われたのだ。こういう言い方は語弊があるかもしれないが、モン族の犠牲はまったく報われなかったと思う。

ラオスの隣国タイはモン族を歓迎せず、モン族の難民キャンプは90年代に閉鎖されたといわれている。その結果、追い出されたモン族はタイ国内の仏教寺院に避難した。しかし、私が聞いたところによると、タイの北部にいまだに難民キャンプはあるという。

米国にいるモン族のうち、約10万人がミネソタ、ウィスコンシン、カリフォルニア州を中心に移住したそうだ。彼らの1人あたり平均所得は2000年には約6600ドルと発表されている。アメリカ人の年収平均には及ばないが、この収入の一部がラオスにいる彼らの家族に送金され、家族を金銭的にサポートしている。また、ラオスに住んでいる彼らの家族、親戚が渡米を試みる(ビザの申請)そうだが、これにはなかなかアメリカ大使館がビザの発行をしないと聞いている。

1 Comments:

Anonymous 匿名 said...

モン族のこと  もっとリサーチしてさーー それを ちょっと 専門に やってみるのもー 面白いかな  って 感じ  日本ではモン族のこと 知っている人って 少ないじゃん  でも モン族の 色々なものは インターネットで 売っているんだよね で 皆は タイの 少数民族だ って 認識しかないんだと 思うよ  日本人の 認識なんて そんなものだよね  アメリカも 本当に 色々と やっているんだね  知らないことが 本当に 多い  そう わたしゃ一応 60年も 生きているのにさーー  困ったものじゃね  年数さえ 生きていれば なんて とんでもないことでした これからも 色々な 知らないこと 沢山 教えて欲しいな  って 思いました 猫ママも うんと 学習しなくっちゃ    

3:21 午前  

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