ADRA Japan 「ラオス便り」

水曜日, 8月 30, 2006

写真と共に・・・。パート1

今日は、ブログの調子がいいので、ばんばん写真を添付しようと思います。


ナムター郡での調査の1日目の昼食。
マーケットで、魚、もち米、バナナのフライを買っていきました。ラオスの魚は川魚。おいしい。


女性の皆さん、楽しくかつ内容の濃いミーティングができました。英語からラオス語の通訳のみ。
この村の横をハイウェイが通り、中国、隣のプロビンスまでも簡単(といっても数時間ですが)になりました。

ロン郡ってどんなとこ?ここが街の中心街。
換算としています。



ロン郡での調査の1日目の昼食。すべて、マーケットで買いました。やはり、魚、肉、もち米、この3点セットは調査中ずっとかわらなかった。あれだけ、もうもち米嫌だなあと思っても、今、その味にうえてきています。


ニーズ調査で訪れたアカ族の村でのミーティングの始まることころ。この村は、今回の調査で一番協力的でした。村の女性の大半が協力してくれ、助かりました。子供たちもかわいかったし、もう一度訪れたい村です。

月曜日, 8月 28, 2006

帰ってまいりました。

1日目 ロン郡へ出発
ルアンナムターから車で走ること4時間弱。大気汚染の無い場所ってこういうところのことをいうのだろうな、そんなロン郡の中心地ロンに着いた。途中、山崩れを何度通り越したことか。何度か川の水があふれている景色をみたことか・・。道路に散らばった岩石を道路脇によけてもらうために村民に支払った額、100円。こんな僻地の村でも電気は1日4時間も使える、うむ、援助をしているタイ政府に感謝の一方、こんなに寒いのにどうして水シャワー?とつぶやく。まあ水があるだけでもよしとしよう。水シャワーは、最初の5分我慢。5分経つと、冷たい水も温かく感じるようになる。慣れってすごい。

ドライバーのソンポーン、ADRAスタッフのトゥイ、そして保健省からのコーディネター、DR.サーと私。総勢4人で、ロン郡に乗り込む。英語は話せないけれどなんとなく気分で会話のソンポーンとサーと私。このゲストハウスはシングルルームが3つ。ソンポーンとサーは、2人で1部屋。それも1つのベッド。重なり合って寝るのであろう・・。こういう時って、女性同士が2人で1部屋のはずなのに・・。女性に優しいラオス人男性。ADRAスタッフのトゥイは英語が話せるので私とラオス人の架け橋。まさに私の耳と口となる。なんとなく日本人の雰囲気をもつ彼女。アメリカで修士課程をとった彼女。彼女が来月一杯でADRAを辞めることは、ADRAにとっても、そして私にとってもいたい。もし、私が新案件をラオスで立ち上げることができたのなら、ぜひもう一度一緒に働いてみたいと思う。

さて、いよいよ明日からニーズ調査が始まる。訪問する村は6つ。かなりのハードな予定になっており、十分な調査ができるのか、それも不安材料の1つである。明日は、午前中政府の方にご挨拶。そして、その後はニーズ調査でもある第1の村に向かう予定。明日の朝、お昼ご飯をマーケットで買うために明日は朝6時にゲストハウスの玄関に集合。
4時頃からマーケットはオープンし、7時にはほぼ物がなくなるとか・・。。たしかに、電気がないんだもんな、早寝早起きがいいだろうな。あと20分で電気が消えます。私もそろそろ寝る準備をしようかな。

不安、そして大きなプレッシャーに押しつぶされてきた2週間。そして、これから始まる1週間の調査。現地についてもやはり不安な気持ちはかわらない。でも、私には偉大なサポーターがついている。きっと上手くいくだろう。

1日目の夜、興奮と緊張のため眠れず。10時にベッドに入り、2時までは鮮明な記憶あり。

2日目?5日目 ロン郡にて調査開始 そして ルアンナムター郡にもどる。
6時のマーケット。にぎやか。朝食、昼食を購入。予想通りのもち米、魚、肉、野菜のお漬物。写真のとおり。この日より4日間、朝食、昼食はこのメニュー。夕食はラオスチャーハンでした。

調査団は私を含めて9人。全員ラオス人。その内の4人はアカ語を話す通訳。今回は6つの村に調査に訪れたが、そのうちアカ族の村は4つ。アカ族は、独自の言葉を持つのはもちろんのこと、独特の衣装、冠(銀色のね)、そして独自の文化、伝統をもつ。その独特の世界に住む人々の中に上手く入り、調査を行う、それは大変難しいことだろうが、今回はロン郡のスタッフ、そしてADRAのスタッフの協力により調査は比較的にスムーズに実施された。もちろん、村に着いたら、あれ?村人がいないじゃなん!あれ?子供だけ?っていうことも1度あったけど、そこはまあ目を瞑ろう。

村人にインタビューの前に、ちょっとした村人とのミーティングを行う。チームの代表の私(ラオス語が話せないけど・・)が時間があるときは挨拶をしました。といっても、英語。それがラオス語に通訳され(英語を話せる唯一のスタッフはアカ語が話せない)、さらにアカ語に訳される。2回の通訳後、村人の耳に。ちゃんと訳されているかと少し不安。まあ、私がラオス語を話せないのが問題なんだけどね。外国人を見たのが初めてなのか、私を見て、子供が一目散に逃げる。とにかく笑顔、これでもかというくらいに笑顔。数十分後には慣れる、順応性の早い子供たち。インタビュー風景を写真に収めていると、「この人は何をやっているのだろうと、子供たちが集まってくる。」もちろん、カメラが何かなんて説明できないから、子供たちの写真をとり、言葉無しの気持ちの交流が始まる。

調査日数5日間。訪れた村、6つ。村長を含めインタビューに答えた人数、約170人。今回は女性に焦点をあて、160人の女性が回答。この数字が果たして充分なのかそれはわからない。肝心なのは、村の人々にとって今何が一番必要なのか、村でどんな問題が起こっているのかを把握できるかだ。ただ、インタビュー用紙の回答はすべてラオス語。またもや苦戦しそうだ。

残すは、梅雨の時期が終わってから、ナレー郡の調査のみ。次回の調査は今回の反省点を活かし、がんばらなくちゃ。

写真が1枚も添付できません。あしからず。

火曜日, 8月 15, 2006

ルアンナムターより

みなさま、お元気ですか?
ルアンナムター県に調査に入り、今日で6日目。バイクで政府を廻っているので、日焼けをしましたちあき@ビエンチャンです。今年のルアンナムターは暑い。日差しがびっくりするほど強いです。

先週の初めに、洪水がルアンナムターの街を襲い、私がルアンナムターについた日は・・停電、断水。あぁ、ついていないや、あっ、日記を書いていたんだ・・。というわけで、その日記を貼り付けます。以下です↓

8月10日 ルアンナムター1日目(ビエンチャンーウドムサイールアンナムター)

先週末の洪水による被害で、ただいまルアンナムターは4日目の停電を迎えております。地滑りのおまけもつき、ルアンナムターはある意味孤立した街になっています。バックパッカーを余り見ていません。それにしても、到着早々タイミングがわるい。先週の日曜日からすでに停電だとか。ちなみに、フィールドワークの予定地までの道路もないとか・・。来週までに流れた道は舗装されるのか・・・。乞うご期待!

電気がないって、ほんとに困ります。携帯もETL会社のしか使えず、急いでETL社に切り替え。切り替えといっても、携帯電話の中のシムカードをETL社のに買い換えるだけ、いたってシンプルです。1枚500円程度。

今日から泊まるゲストハウスは、自家発電気があります。といっても、8時半に切れるらしい。とのことで、今、パソコンの充電をしたり、携帯の充電をしたりとばたばたしながらこのメッセージを書いています。結局、自家発電機は9時過ぎまで稼動、が水は結局なし。この自家発電機の大きな音を聞いていると、昔旅行したモロッコのサハラ砂漠でのことを思い出します。サハラ砂漠のゲストハウス。もちろん電気がなかったので、ゲストハウスごとに自家発電機を持っていました。が、それが動かないこともしばしば。で、ろうそく生活。たしか、3泊くらい泊まったのだけど、電気がないことに全くの抵抗を感じませんでした。今は?困った、困った、電気がないと心の中で文句中。本来なら電気があるの状況下にいるのに今はたまたま無いという状況が納得いかないのでしょうね。これが街からだいぶ離れた村だったら納得しますし・・。ビエンチャンに住んでいるといっても、おそらく日本の人が想像しているよりもずっとビエンチャンの生活は快適です。ラオス=ある程度快適な生活ができるという勝手な想像が私の中にできあがってるのですから。

結局一日目は、何もできず終了。こんなんでいいのか、夜は寝袋の中で寝返りを何回もうちながら悩み、眠れなかった。

8月11日 2日目。
電気はまだ来ず、ただいま自家発電機稼働中。でも、夜には電気がやってきました。
午前中は、ルアンナムター県の教育省にいってきました。今回のニーズアセスメントの詳細を話し、ルアンナムターの教育状況について話を聞く。ミーティングの前に、ある程度の教育状況は予想していたけれど、予想以上に問題が多い。何に焦点を当てるべきなのか、一瞬頭の中が真っ白になった。ルアンナムター県のロン郡の郊外に住むアカ族、ラオスに住んでいるのにラオス語を全く話せなく、ある意味、隔離された生活を送っている。言葉が話せない、街にも出てこない、決して自分たちの独自の言葉だけを話したいというのではなく、ラオス語を話したいという意欲もあるらしい。ラオスに住みながら、私以下のラオス語。彼らの知識はほんの一握りしかなく、昔からの言い伝えと共にいきる。生まれた双子は不吉、不運をもたらす、だから殺してしまえ!、これはアカ族の迷信。実際に今もアカ族はこの迷信を信じている。外部からの情報は入らず、ましてやその迷信を非難するものもいない。さて、教育の話から、すこしずれてしまいましたが、とりあえず、教育省からはロン郡に焦点を当ててほしいとの依頼もあったということで、来週の金曜日には政府の人間とロン郡を訪れる予定。片道4時間、途中の街ムアンシンからはジャングルロードらしいが、自分の目で見て、何か今回のニーズ調査のヒントがわかればいいと思う。
午後は、ラオス女性同盟ルアンナムター事務所を訪問。手ごたえはよし、彼女たちの前向きな姿勢には感激。訪問は2回目だが、女性同盟の人々とは一緒にプロジェクトをやって着たいなあと思う。彼女たちも予定によっては、村の調査に同行してくださるとのこと。まだ、調査予定の村どころか、どこの郡に行くかも決まっていない。ルアンナムター県には、5つの郡がある。その中で、まずは2つ選択。その2つに絞るために、私は政府を訪れている。難しい、案件の構築って本当に難しい。でも、実はもう5つから3つには絞れているんです。

8月12日 3日目
ルアンナムターでの初めての休日。特に予定も無いから、本を読んだり、だらだら過ごそうかなあと思いながら、ゲストハウスでだらだら・・。と、誰かが私の部屋をノック。お掃除のお姉さんかと思ったら、ADRAのスタッフのタナラートでありました。これから、みんなで滝にピクニックに行くとのこと。で、あるようでなかった私の予定は急遽変更し、ピクニックに参加することに・・。

滝まで、砂利道、のどか道。川魚、野菜、もち米を持参で、自転車組、バイク組みで分かれて出発。ごっとんごっとおん。こんな風景を走ること20分。

滝へ到着。さて、分担を決めたわけではないけど、みんな黙々と作業に取り掛かる。私は、何をしてよいのかわからず、手持ち無沙汰のまま、うろうろ。で、結局、パパイヤサラダ作りを見学。
料理は、川魚焼き、パパイヤサラダ、もち米などなど典型的ラオス料理。魚はとてもおいしかった。
食事の途中より大雨が・・。食事終了後は、ピクニック場を後にし、帰宅。結局、夜は夜で、スタッフのマーセル宅にみんなでお邪魔し、ラオスシチューを頂く。今日はずっとわけのわからないラオス語の会話だった。20%くらいしかわからないのだけど、気分は悪くない。話が一部しか理解できないので、一人だけ笑えないのだけど、1人で遅れを撮っているのだけど、でも気分は悪くない。それって、ラオス人スタッフと一緒にいることを楽しんでいるのだと思う。でも、やはり、ラオス語がんばろう。一緒に笑いたいもん。

8月13日 4日目
休日でありますが、特に予定も無く、仕事をする。

写真を何枚か撮ったのですが、ブログに貼り付けができませんでした。写真をみてもらえたら、私がどんなところにいるのか想像してもらえるのだけどな・・。次回にかけます。

火曜日, 8月 01, 2006

ラオス式。

ラオス言葉はまだ話せないけれど、気分は私もラオス人って言うことで、ぱっとみ顔は日本人だけれど、でもでも、ラオス人に見えるようなファッションを心がけています(って、ただ単に私の思い違いかもしれませんが・・)。そんなこと必要ないって。。いいやいいや。

シン(スカート)、かばんも、全部ラオスのもの。無駄遣いばっかりしているんでしょ、といわれそうですが、そうでもないです(きっぱり)。1回だけ、「ラオスの娘さんね。」って言われたときは、くすぐったい気持ちになりました。スノボにしても、スキルとか関係無しに、スノボのウェアを買ってしまった、いわば格好から入る私ですが、今回はちょっと違う。ラオス人の気持ちを読む、ラオスに入り込むにはよいスタートなのでしょうか。ラオスの伝統スカートを穿く、これは、相手国の文化の尊重になるのではないでしょうか。ラオス人と同じものを食べ、同じ洋服を着る、そして言葉がしゃべれればいいのですがね。そこまではまだ到達していません。ちなみに、バイクの運転もラオス式です。


ちなみに、スカートはタイの布でした。失礼。布だけ買って、ラオスのおばちゃんに仕立ててもらいました。トップスは、ビエンチャンの市場で買った布を私がデザインし、おばちゃんが縫う。