ADRA Japan 「ラオス便り」

火曜日, 5月 30, 2006

うししの話。30日の追加です。

さっき、午後のバイクの練習を兼ねて、市場まで行って来ました。
そこで、果物のライチや生活雑貨を買ったのですが、ラオス語だけしか使いませんでした。
で、1キロライチ7000キープ。高いのか安いのかわからなかったけど、値切らず1キロ購入。
うし、さっき、ラオガールズスタッフに値段を言ったら、それは安いわよ、私は8000キープで買ったわよ、千晶は貧乏だと思われたんじゃない、っていわれた。私の今日の召し物、ジーンズにストライプの決して貧乏にはみえない、かといって、お金持ちにも見えないシャツ。まあ、冗談と思うけどね。

他の商品も値段はぼられず購入できたことがわかり、ご満悦ー!じぶんに「ご」をつけちゃうくらいです。

さっき、デニソンにもらったレインコートを洗いました。わたしもいよいよバイク通勤デビューです。
時速は40キロ、妥当だそうです。ティップ(オフィスのファッションリーダー、たしかにおしゃれ)に確認済み。

では

ついに、解決か?満足感は人間の自身につながる。

と、タイトルから、意味不明ですが、私は今、汗をかきました。
というのも、ついに、ついに、バイクで少し遠出をしてきました。しかも、一人。ラー君は不在でした。5キロくらい。しかも、時速40キロ。40キロっていっても、バイクの40キロは結構早いです。で、一応無事にオフィスに戻ってきました。ああ、緊張した。走っているときは、いいのですが、微妙に止まるかなあ・・、もうすぐ信号が変わるかなあと。。とっさの判断がむづかしいな。ギアーを戻したほうがいいかなあと・・。

今日の反省
?目視が多すぎ、きょきょろ子になっている。ミラーをみろ!
?ギアーチェンジをもう少しスムーズにする
?挙動不審にならない
?自転車に注意
です。午後ももう少しがんばろうかなあと思います。

私のラオス滞在をかなりマイナスポイントにしていたバイク。まだ、雨の中の運転はとっても「NO」だけど、一応、雨でなければOK。それにしても、ラオス人の運転はめちゃくちゃだなあ・・。また、車の後ろは排気ガスがすごかった。黒煙だった。喘息がぶり返さないといいけど・・。

今日、商社に勤める友人から留学先がようやく決まりましたと、メールが。彼は今年の夏からロシアの大学に留学。そして、1年後はロシアにある自社の支社勤務とか。今後は世界をまたに駆け、日本とロシアの架け橋になることを期待しています。ちなみに、ロシアって日本に何を輸出しているんだろう。天然ガス?キャビア?鉄鉱石?大国ロシアはやはり天然資源という印象ですが・・。
私はまだまだラオスと日本の交流の架け橋にはなれませんが、言葉を覚えつつも文化、民族、少しづつラオスを理解していけたらいいです。

今日のお昼は、プリシラ持参のランチです。お豆と、ライスと、楽しみ☆

月曜日, 5月 29, 2006

ラオスで生活も41日目。数えているところは怖い・・。

朝の7時03分に電話。それも、7時におきたばかりだから、ボーっとしてたころに。電話の表示は、通知不可能。「だれじゃ。デニソンかなあ。今日は迎えに行くの遅れるよ、っていう連絡かなあ・・」と電話に出てみると「はろー、ちあきさん」「はっ?」電話の主は、オージーのヒースでした。まだ、寝起きでいきなりオーストラリアンなまりは、おうのう!って感じで、少ししゃべって、オフィスに着いたら電話するよと、いったん切りました。が、いかぬいかね、寝ぼけてても英語を話せるようにならなくては・・。

今日は、のりのりで仕事をしています。来週デニソンが1週間出張、そして来週からァイナンスディレクター兼妻のプリシアも出産のため3ヶ月お仕事休み。来週は、1人外国人。ラオス語もまだ話せないというのに、1週間やっていけるかな?やっていかなくちゃいけないね。で、デニソンが来週1週間いなくなるだけなのに、なにやらあわただしく仕事をしています。というのも、上半期のプランが少しずつ立ちつつあるから、うれしい。6月は、PJのアセスメントの準備でしょ、7月は予定通りいけば、ニーズアセスメントで初現場でしょ。と、予定が少しずつ決まるたびに意気込みも増す。増す。で、お昼には沸点もびっくりの最高潮に達した。お湯も沸かせちゃうような勢いでした。その勢いによって作成されたタイムプラン。先ほど、デニソンに口頭で説明。「グッド」を頂きました。これをもう少し検討したいと思います。小学生ではないけれど、デニソンにほめられるととても嬉しい。今秋の新プロジェクトにむけていいスタートを切ったのではと思います。

昨日(日曜日は)お隣さんのTちゃんとお買い物に行きました。生活用品、そして、ラオス女性の体の一部ともいえるスカート「シン」を購入。これは、ラオス政府の訪問の際などに着用予定。でも、オフィスにもはいてこようと思っています。出席よていのちぴろの結婚式にもラオス衣装で参加したいなあと思っている今日この頃。「シン」は、すごくおくが深い。これは、昨日、Tちゃんからいろいろ学びました。もちろん売られているシンは、手縫いであって、言い方が古いけど、ラオス女性の汗と涙の賜物といっても過言ではないでしょう。1本の糸が集まって作り出した玉手箱(なんか、彦麻呂みたいな表現に)。ぱっとシンを見ただけで、民族(アイデンティティ?)やいやらしい話し、大体のお値段もわかるそうです。また、合成繊維を使っているかも・・。金色やトロピカルブルーは、合成繊維が多いようで、でも、つい金色にひかれてしまいました。そんな私にぴったりのシンをTちゃんと一緒に選びました。合成繊維は使っていない、すごくシンプル。一目ぼれという感じです。仕立て屋さんには近いうちに持って行こうと思います。

今日の戦利品。ラオス語流暢のTちゃんと一緒だったので、値段に納得、品物に納得の私。


購入した「シン」


ミキサーを頂いたので、最近自分で作るフルーツシェイク。写真は、スイカ、バナナ、りんご、マンゴスチン入り。バナナの味が強くて、更なる高度な研究が必要。得点75点。イギリスなら、ディスティンクション。スイカを入れすぎると、水だけ沈殿する。配合がポイントである。

木曜日, 5月 25, 2006

追加情報。

これが、私が訪問した学校寮の内部。電気は通っているものの、強風には吹き飛ばされそうな感じ。
月の明かりで勉強したまさに二ノ宮金次郎(?)の世界。っていっても、室内にはつきの明かりは入らないか・・。



こんなに外観は立派のお手洗い。でも、水が通っていないため、お手洗いとしての機能は果たせていない。ハード面にお金をかけすぎて、資金不足のソフト面?今後、政府は水供給PJを考えてくれるだろうか。



危険危険といわれているラオス航空の小型飛行機。プロペラ機か。予定では、小型飛行機ではないはずなのに、空港に降り立ったのはこの飛行機だった。ちなみに、点検なしに、空港に降り立った飛行機はすぐ私たちを乗せて飛びたった。ちなみに、シェンクアンの空港、久しぶりにこれは空港じゃないよ・・と思う場所だった。こういう空港はめずらしいね。操縦室の扉は前回、一度座席に座ったら、着陸まで身動きとれず、
まるで飛ぶバスである。これじゃあ、猫バスのほうが快適さ。

ありゃ、写真が添付できませんでした。あしからず。

自分の道は自分で切り開く。

おそらく、今から書くこととタイトルはあっていないと思う。
ただ、今日、このメッセージを書こうとしたときに、ああ、ラオスにいるのなら、自分のやりたいPJは自分で提案していかなくちゃと思い、そんなタイトルにしました。

シェンクアンの出張。出張の本来の目的は、学校に通う生徒のために寮を建設してほしいとアドララオスに依頼があったのでその可能性を探ることであった。が、結局、アドララオスは寮建設のプロジェクトは申請せず、シェンクアン県の最も貧しいクン地区の村に水・保健衛生PJを申請することになった。
ただ、ここからが、納得できないこと。日本政府のODA,日本だけでなく、オーストラリア政府も。学校建設や病院建設は、日本政府が言う子供の基礎教育支援と認識されていて比較的、政府に支援されやすい。が、寮の建設、遠方に住む生徒が学校に通う為にすむ寮の建設は、直接的に生徒の教育に結びつかないために政府からの援助を受けにくい。資金援助を受けられないわけではないが、難しいようだ。でも、申請はできるので、やってみなくてはわからないと思う。しかし、私は、学校に生徒が通える環境があってこそ学校建設をする必要があるのではないのか。学校があったとしても、生徒が学校にこれなくては意味がないのではないのか。ある人はいった、「生徒が、2時間歩いて通学すればいいんじゃな?」まだ、10歳に満たない小学生たちが、2時間、決して安全といえない道を歩いて通学する。梅雨の時期は道が閉ざされるときだってあるかもしれない。まあ確かに不可能ではないが、2時間歩いてきた生徒が、ましてや朝食を食べるお金がない村の子供(これはあくまでも推測)が、授業に集中できるのだろうか。ぽわーんと授業を聞いてる生徒が想像できる。初めての海外赴任、そして始めての出張、そこでみた、現実の世界。授業を受けられる環境にあったのに、ボーっとしていた私の幼少時代、いや大学時代もか。生徒の両親が作った、傾きかけたわらぶき屋根の寮で、私も昔習った関数の勉強をしていた彼女。わからなかったら、両親に聞ける環境にない彼女。彼女はとても澄んだ目をしていた。なんとか、力になれないかなあと思った。そう、思っていたよりもラオスの数学のレベルは高かった。私が見た学校の寮は、他の貧しい地区に比べてましなのかもしれない。でも、要請があり、私たちの援助を必要としている。だから、私は何かしなくてはいけないと思う。寮のPJは採択されにくいから、あきらめる、それはもうすこしがんばってからにしたい。ネバーギブアップって、こういうことを言うのだろうなと思った。

そして、私が最終的に出した結論。アドララオスは、寮建設のプロジェクトをオーストラリア政府に申請する予定はない。だったら、私が資金援助先を探してみる。デニソンに相談。了解をもらい、探すこと数時間。で、見つかった。日本のある財団の資金援助プログラムで、外国のNGOが申請できる。もちろん、私たちの申請が採択される可能性なんて、ほんの少しだと思う。ましてや、そこの財団だって、学校の寮にお金は援助できませんというかもしれない。でも、可能性は少しでもある限り挑戦をする。教育とは、学校建設を指すのですと、私の期待に反することを言うかもしれない。まずは、じっくり観察ですな。

アパートでの新しい生活も、近所のともみさんとさんに助けられて少しずつ快適になった。ラオス語も、今日何するの?今、時間ある?明日の予定は?などの文章も覚えてきた。バイクの練習もしなくちゃ。
忙しくなってきたけど、それが心地よい。

火曜日, 5月 23, 2006

バイクで路上デビュー。

今、ショックを受けて、放心状態。ほぼ完成したブログ用のメッセージが消えてしまった。で、書き直しをしています。しょっく。

さて、かなりかなりストレスになっていた、ラオスを嫌いになってしまうかもしれない原因の1つでもあった、バイクの練習。今日は、なんと路上デビューしました。それも、1人で運転。ひやあ、怖かった。もう、がくがくの、どきどき。ラー君が前を走ってくれて、こちらをちらちら見てくれるのだけど、所詮運転するのは私。左折の際に車が途切れるのをまとうと、ブレーキをかけて、ギアーを1に変更。で、待っていると、エンスト。で、間違えて、ニュートラルに戻さず、ギアー1のままエンジンをかけなおしたら、「おっと」とバイクが前に少し進んで、で、びっくり仰天、あ、ニュートラルに戻さなくっちゃ、あー、車が途切れた、今左折しなくちゃ、えーと何をするんだっけ?ギアーを1にして、と1人パニック。ラー君向こうのほうで唖然?立ち往生したもののでも、なんとかクリア。ふう。って、みなさん、そのときの近況理解していただけましたか?とにかく、あせるとだめですね。オフィスに戻って、涙目でデニソンに報告。ラオレディーススタッフにも、いかに運転が難しいかと報告。レディースたちも、みんな始めは怖かったって・・。「でも、今は運転なんて、簡単よ」って言ってる。それを聞いて、すこしうれしかった。

練習後は、バイクの主将のしげと、景子さんに確認の電話をしました。今日の路上運転の際の疑問を問う。2人は、エンストってしたことないって言っていたけれど、わたしはどうしてエンストするのだろう。それが疑問。

ラオス語は、調子がいいです。ちなみに、以前は授業中に時計を見ることが多かったけど「ああ、まだ30分も残ってる」など。子供みたいだけど、かなりのストレスになっていた。が、今は楽しい。時間を見ることもないし、時間がたつのが早い。今日はとにかく早かった。
今日は、時間の表し方を勉強。時間の表し方もさまざまな表現がある。
たとえば、3時50分。
?まず、3時50分
?4時10分前。
?4時ちょっと前
?4時くらい
これを全部使うのも、覚えるのも大変だけど、使えたらすごいですね。
ただ、今日は文法の疑問が解決できませんでした。先生は説明できないみたい。というか、疑問に思わないのだろうな・・。これは、外国人に(日本人含む)きいてみようと思います。

新居には結構問題があり。大家さんに会う機会がないので、2回ほどメッセージカードを書いた。ここを直してくれ、これを買ってください(アイロンがほしいです。床の拭き掃除をお願いします、ちょっとわがままで、大きなテレビをください!、シャワーのお湯が熱くないのですが、など)どのお願いも、同じアパートに住んでいる方からしてみれば、たいしたお願いではないみたい。無理なお願い以外は、大家さんに頼むのがラオスでは普通なのかな。ちなみに、「電球きれました」というお願いは普通だそうです。日本とはシステムが違いますね。
外国人は、ある程度の家賃を払っているからというのもあるのでしょうけどね。

今、頭の中で考えていた表現がどうしてもうまい英語にならなくって、ダニエルに聞きにいきました。さすがだ、うむ、いい表現をもらいました。が、すべて私の知っている単語。シンプルな文章なのに、なかなか考えつかないものです。ちなみに、ダニエルは、さっきバイクに乗って転んだそうです。どうして転んだか理由はわかってるって言っていたけれど、私はそんな冷静には考えられないだろうな、ましてや大通りで転んだとしたら・・。

月曜日, 5月 22, 2006

近況報告です。

こんにちは。

シェンクアンの出張は有意義なものでした。実際、村の学校を見学できたし、学校に実家から通えない子供たちが生徒だけで住んでいるドームも見ることもできました。とても簡素なつくりでした。また、校庭内にお手洗いはあるものの、水が通っていないため使用はできていませんでした。プロジェクトサイトはほぼ決まり、デニソンが今週から来週にかけてオーストラリア政府宛てのプロポーザルを書くそうです。

自分で言うのは何ですが、ラオス語がかなりよい調子で進んでいます。先週末、勉強したしな。目標は、ラオス語を話せます!というレベルになるまで。欲を言えば、ラオス語の農業専門用語を使いたいなあと・・。最近では、ラオス語のレッスンはストレスではなくなりました。この調子でいきたいな。こちらにいる友人、K子さん。彼女は日本人ですが、ラオス語を巧みに操る彼女。キュートなラオス語を話します。できれば、彼女と語学の共有をできればと思っているのである。ちなみに、私は英語を提供(とんちんかんな英語で申し分けないけれど・・)。私も、自称クウィーンズイングリッシュを話す(自画自賛。。。)ので、共有するのにはちょうどいいのかな。デニソンや、プリシラが、「ちあきは、ラオス語の上達がはやいわ」って私をあげるものだから、もうはりきっちゃいます。おだてると伸びる、案外、いや本当に私は単純な人です。

ダニエル君、来ラオス。年齢はいくつか知らないけれど、高校生みたい。が、頭脳は博士号レベル。さっき、もうすぐ提出予定の博士論文を見せてもらったが、タイトルの中の単語がすでにわからず、無念。オーストラリア人アクセントを持っている彼。聞き取りに少し苦労。オフィスのラオス人スタッフ、オーストラリアアクセント、ブリティッシュアクセントになれなくてはと苦労しているみたい。ダニエルは、来ラオス早々、今週の金曜日から、タイのグラビ島、イタリアのフローレンスでADRAトレーニングのため、6週間オフィスを空けます。そのあと、そこで学んだことを私ともう一人の新スタッフ、ティム(オーストラリア人、6月はじめに来ラオス)にトレーニングしてくれるらしい。フレンドリーな彼だけど、まだ彼との間に隙間を感じています。はやくその隙間が埋まるといいです。

日曜日にようやくアパートメントに引っ越しました。昨日は、床の吹き掃除(前に住んでいた人が土足で部屋に入ってたみたいで、3回拭いてもまだ汚い)、荷物整理をしました。ところで、隣人のTみさんと猫のたま。この方、素敵な隣人さんです。日本人の方で、体育教師を養成する学校の先生。昨日は、ずっと2人+1匹と話し込んで、彼女のおうちに12時までお邪魔してしまいました。途上国での学校建設に関して注意すること、またホテル好きの彼女とのホテルの話をしたり、彼女が2年近くラオスにいる彼女の経験(開発についてや、教育について)を話してくれたり、とても有意義な時間をすごしました。彼女もラオス語が上手。私の周りには、ラオス語の上手な日本人がたくさん。それが、結構自分のモチベーションをあげるのです。彼女とは、近いうちに「シン(ラオスの民族衣装で、女性のほとんどがはいている)」を買いに行く予定です。政府を訪問する際は、敬意を表すためにシンの着用をしたいと思っています。民族衣装といっても、デザインや生地はさまざまなので、どんなシンになるか楽しみです。

水曜日, 5月 17, 2006

いってきます。

おとといは、デニソンのうちに泥棒が入り、昨日は乗っていた(私は助手席)車にバイクがぶつかってきて、事故に巻き込まれるし、なんだか周りでばたばたしています。事故はと、他の車にぶつかり、それにバイクがADRAの車にぶつかったというわけです。ADRA車以外は、やはり、予想通り、保険に入っておらず、誰が保証するのかは知りませんが、とりあえず1時間後に一件落着。とにかく、ラオス、バイクの運転はめちゃくちゃだし、ヘルメットはかぶっていないし、保険にも入っていないし、道路は穴ぼこだらけだし、びっくりの一言。バイクの女の子が倒れる寸前の顔をみたのだけど、忘れられないね、あのときの彼女の顔は・・。運転には本当に気をつけてほしいです。せめて、ヘルメットと譲り合い運転をー!携帯で話しながら、片手にジュースを持ちながら、4人乗り、動物を片手に抱いて乗る、そんな国なのですから・・、事故は当たり前のような気もしますが・・。バイクの事故は本当に多いようです。ちなみに、初心者の私としては、片手でバイクに乗る、そんな余裕があるなんてすごいなあとも思います。わたしは、手2本、足2本でも足りないくらいなのに・・・。華奢なサンダルでバイクに2人乗り、これもすごいです。

最後にびっくりしたのは、事故の後、一応現場検証まがいのことをするのですが、警察官4人登場。1人は、ペン一本もって、あとの3人警察官タバコをすう。もちろん、交通整理は誰もしておらず、本来なら2車線の道ですが、現場検証のため車2台放置がバイクも1台放置してあり1車線だけ。やがて、渋滞。ここからがすごかった。まるで、人間は自分勝手だ!といわんばかりの行動をとる。ある車は歩道を走り、あるトラックは後ろに車が連なっているのもお構いなしに、Uターン。もちろん、後ろからクラクション。あるものは、車から出てきて一休み。クラクションと、排気ガスの山で、もちろん、野次馬も多数、でほんとうにケイオス状態。なんだか、おかしくなって、笑ってしまった。びっくりを通り越し、私は笑ってしまった。

では 3時半の飛行機に乗ります。なんだか、デニソンにさっき、不発弾の横を車で通るから、カメラ持っった!と聞かれました。もちろん、不発弾が埋めてある場所を車で通るわけではないですが、車で通る道の横に不発弾が埋められている・・なんだか怖いですね。

現地の写真はとってきますね。
では また

月曜日, 5月 15, 2006

近況報告

突然ですが、水曜日から金曜日までシェンクアン県(首都ビエンチャンからプロペラ機で30分、短っ!)に行くことになりました。目的は、今後は、シェンクアン県でプロジェクトを構築していくで今回はそのニーズアセスメント。以前にもブログに書いた、不発弾処理のプロジェクトが多く行われているシェンクアン県。おそらく、不発弾処理のためのPJ以外にも、違った角度から見れば、住民の他のニーズは見えてくるはず。私のやりたかった、ニーズ調査。メディアの情報や、外見だけで判断するのではなく、じっくり住民の話を聞く。それも、期待する答えになるような誘導的質問(リーディングクエスチョン)ではなく、いかに彼らの本音を聞きだせるかのを考慮した質問の仕方。まさに、マスター論文のときに先生に教えてもらった、まさに自分で経験したことだ。ただ、問題は、そんな短い期間に住民のニースを聞きだせるかということ。それは、もうしょうがない。全力を尽くすのみだ。

また、ついにアパートメントに引っ越すことになりました。引越しは、来週の日曜日、21日です。まだ、バイクに乗れないのにどうやって通勤するのかなあ・・と問題は山積みですが、とりあえずは引っ越します。引越し先のアパートは、隣がオーストラリア大使館があり、の閑静な住宅街にあります。デニソンもセキュリティー的にもOKだとGOサインをくれました。これで、問題の1つが解決。ほっとしています。

初めての出張、そして一人住まい、やっと本当のラオス生活の幕が開くのではないかと思います。
もうすぐ、ラオスに赴任して1ヶ月。右も左もわからぬまま、突っ走ってきたけれど少しここで小休止。
もう一度、改めてラオスで何ができるのかを考えたい。

聞き間違えと言い間違いの週末

先日、バンコクから帰ってくる飛行機でたまたま隣に座り、知り合ったアメリカ人のレイチェルと今日はランチをした。2人で、ビエンチャンにあるジャパニーズフュージョンレストランランチ。食事をしながら、私の所属するNGOの説明、どんなプロジェクトを現在行っているのか、今後は私がどのように活動していくか、結構興味を持ってくれたみたいで、話は英語で、途中途中苦しくなったけど、かなり話は弾みました。最近、新聞でも話題になっているデング熱。英語では、デンギというのですね。お医者様のレイチェルは、お医者さんらしくデング熱の対処法を説明、してくれたかな?レイチェルは、蜘蛛に刺されたときの対処法を教えてくれました。アメリカとは蜘蛛の種類は違うけれど、蜘蛛に刺されるとまずはその部分が赤くなり、その後、青あざになるのだそう。でも、ラオスの蜘蛛とは違うかもって・・。この辺の会話は、早口のレイチェルについていくのがやっとで、20%は頭が飛んでいました。彼女が医学部在学中に人体実験の授業の後は、食事がのどに入らなかったとか、でも人間はなれてしまうとそれも平気になるのよって。そんな学生時代の話をしてくれ、なんだか大学時代を懐かしく感じました。

また、アメリカのNGO団体がラオスでほとんど活動していないのは歴史上の問題が影響しているのかなあ・・という私の疑問に彼女は自分の意見を正直に答えてくれました。インドシナ戦争に介入したアメリカ軍が(実際は、ラオス国軍との国連軍)現政権のパテート・ラオが展開するシェンクアン県に7500トンの爆弾を投下したといわれています。その爆弾のどれくらいかはわからないけれど、現在不発弾(UXO)として地中に残っています。時々、新聞で、シェンクアンの不発弾が爆発、数人死亡という記事を見ることがあります。戦争が終わっても、未だに不発弾の存在は住民を脅かしているのです。今年度からは、日本のJMASも日本政府の資金バックアップによりラオスでの不発弾処理活動に参加、ヨーロッパのNGOもかなりの規模でこの処理活動を展開。アメリカのNGOは直接は参加していないが、アメリカ政府がバックアップ(これはレイチェル情報)。今は、歴史上の出来事を非難するのではなく、ラオス人が安心して住める国にするために、国と国が、NGOとNGOが手を取りやって活動を迅速に展開していく必要があるね、最後はそんな話しをしました。

その後、ランチ後のレイチェルの予定を尋ねると、スイミングプアーパーティー(Swimming poor party)あると。アメリカ政府関係者の調査団(医療)の人が、ビエンチャン市内で、プール付の大豪邸に住んでいてそこでパーティがあるとか。もちろん、スイミングプールパーティ(Swimming pool party)なのですが、勝手な聞き間違いをしました。さらに、かってに聞き間違えた単語を自分流に理解。みんなで、泳いで、お酒を飲んで、で、表面上はみんな楽しんでいる、でも、実は内容がプアーなのよ!中身がないのよ!そうレイチェルは私に伝えたかったと、大幅に一人勘違い。で、その際に、今日は水着を持っていくから、一旦家に帰んなんなきゃ・・というレイチェル。やっと、理解。なんだ、スイミングプールパーティね。それ勘違いの胸を彼女に話したら大爆笑。きっと、心の中では、「その間違いはやばいわよ!」って思っていたのかなあ・・。ちなみに、今日、すぐに通じなかった単語は、village(村)。やはりVの発音に問題か・・。Vの発音は結構練習したのに・・。
今週のウィークデイにまた食事しましょ、と今日はお別れしました。それまでに、英語の練習をしなくちゃ・・。

レイチェルと別れ、家に戻り、その後ラオス語の本を読みながら、グダグダしていたのであまり空腹感はなく・・。でも、何か食べておこうと夜、いつものお店に夕食を食べに行きました。今日は、せっかくラオス語も覚えたし、ちょっと使ってみよう、それが間違いでした。「私は、カオピャクを食べたいです。」普通にカオピャクを1つって注文すればよかったのに、わざわざ「I want to eat kaopyaku」というラオス語を使ってみました。それがいけなかったのか、注文をとりにきてくれた女の子が「カオパク1つね」という。「カオパクは、チャーハンでしょ。私の注文したいのは、(←ここまでは心の叫び)カオピャク(米の麺)だよ。」というと、隣に別のお姉さんが「カオピャクでしょ」私「そうそう」とちゃんと注文ができたと思っていたら、その後、いや、すぐに発注ミスが発覚。というのも、小皿に入った唐辛子ソースが出てきた。これは、チャーハンのときにしか出てこないもの。しかも、お姉さんはフライパンを振りはじめた。まさか、違うよな・・と思いながら、どきどきしていると、チャーハンは私の、目の前に。今日は、麺と肉まんを注文したと思っていたのに、なんと私の目の前には、チャーハンと肉まんが・・。おなかもそれほどすいていなかったのに。。言葉の間違えっておそろしい。聞き間違え、言い間違え、おそろしや。

明日は、ラオス語の数字のテスト。大体暗記はできたけど、1から順に流れで覚えているから、急に(22)とか言われると出てこないから、それじゃあ、覚えたといえないか。

水曜日, 5月 10, 2006

デング熱の脅威と甘いバナナ

今日は、午前中はラオス語レッスン。やっと、なぜ、どうやって、誰が、などの疑問詞を完了しました。
でも、先生が何を言っているかわからないときは少し苦痛です。でも、これを超えなければ・・。午後は、デニソンに頼まれた調べ物に集中するが、なかなかうまくいかず・・。

今日は、最近ビエンチャンタイムズ(ラオスの英字新聞)でも最近取り上げられているデング熱についてかきます。おとといのデング熱記事のタイトル、BE on your guard against dengue fever・・・なんだか、デング熱は自分で防御しろ!みたいなタイトルですが・・。

デング蚊は、基本的には昼間に行動。人間を刺した後、メスはきれいな水に卵を産みつける。卵は、9?12日で孵化する。生命力が強いデング蚊、1年とは生き延びるのこと。ある一人の母親のインタビューが載っていました。彼女の息子が数日前にデング熱により死亡。彼女が言うには、息子は、3日間体調が悪く、風邪を引いたと思い込んだ母親が、3日目に解毒剤を飲ませた。それでも、一向によくならず、その後彼は病院に運ばれたものの病状はさらに悪化し、死亡にいたったとのこと。お医者さんいわく、息子が体調を壊した1日目に病院に連れてきていたら助かっていたかもしれないと。とはいっても、「ちょっと熱っぽい・体調が悪い」と子供に言われれば、すぐ病院に連れて行かないで、すこし自宅で様子をみましょう・・って場合もありますね。ただ、この梅雨の時期は、そのちょっとした子供の一言、SOSのサインに気づかないことが命取りになるかもしれないですね。わたしは、バスタブのバケツに溜まったラー君用の水浴びの水でも、どきどきしながら、卵を探しています。ちなみに、肉眼で見えるのかはわかりません。まあ、孵化するまでに10日前後かかるので、それ以上の日数は水は貯めないことですね。ビエンチャンタイムスには、蚊帳を使うなどのベーシックな対処法しかかかれていなかったが、虫除け、ベープマットのようなものの、いったい何が一番効果があるのだろう。ちなみに、イギリスにいるとき聞いたのは、マーマイト(イギリス人の大好きな、小麦を発酵させた味噌のような味のペースト)をたべると蚊が寄ってこないそうです。これは、大手新聞誌ガーディアンの調査で証明されたとのことです。

そして、もうひとつの面白い記事のご紹介(5月10日付け)。記事のタイトルの直訳は、バナナの甘みが貧困と戦う!つい、甘いバナナが売れる?では、甘さの違いをどうやって出すのだろう・・と疑問に思いつつ、わくわくしながら記事を読むと、タイトルのことはほとんど触れておらず・・。2020年までに貧困を削減しよう!という目標を掲げているラオス。その目標を達成するための1つの方法、シンプルに言えば、バナナの栽培、輸出、現金(外貨)の獲得。日本にいると、フィリピン産のバナナをよく目にするが、ラオスのバナナもなかなかおいしい。フィリピンに勝る位の質のよい、低価格のバナナの栽培、総輸出量を増やしていくためにはその壁を乗り越えなくては・・。



毎日、チェックをする欄。同じラオスでも品物によって値段の違いがかなりある。蛇の頭(一番右)はだれが食べるのだろう・・。ちなみに、バッファローは国民的人気のお肉。でも、一番はもち米(カオニャオ:ラオス語)である。毎晩、ラー君に「寄るご飯は何を食べた?」と聞くのだが、カオニャオといわなかった日はない。

月曜日, 5月 08, 2006

エアコンと別れ

エアコン、直りました。直ったというか、動きはしますが、スィッチが壊れたままなので、電源をきるときはコンセントを抜くという、便利なんだか不便なんだか・・。プリシアのおうちは、とても快適だったので、当分エアコンは直らなくてもよかったのに・・・と悪い心が少々働きました。プリシアのおうちで食べたサンドイッチと、イチゴシェークおいしかった・・・。自炊っていいなと改めて実感。

さて、ヒース君に午前にさよならをしました。次回は、メルボルンであいましょう!と軽く。ちなみに、今まさにオーストラリア流ブームがきた私は、プリシラと仕事でいっしょに行った旅行会社でメルボルンまでのエアーチケットがいくらか聞いてみました。ラオスの首都ビエンチャン、東南アジアにあるのに、他国の直行便がベトナム、タイにしか飛んでいません(あっているかな)。ADRAのスタッフは、基本的にはバンコクで他便に乗継です。オーストラリアのメルボルンまで、バンコク経由でいくと、なんと税込みで800ドル。これでは、日本から行ったほうが安いかもしれませんね。というわけで、オージーブームは到来しましたが、値段との交渉は炸裂しました。でも、メルボルンってなにがあるのでしょう。オーストラリアといえば、シドニー、コアラ、カンガルー、エアーズロック、世界の中心で愛を叫ぶ、ロハスな生活、位です、今頭に浮かんでくるのは。その映画は見ていませんが、オーストラリアの自然に触れるたびはいいですね。私の興味のあるパーマカルチャーも進んでいる国ですしね。

ラオスに来て、いろいろな国やさまざまの立場の人に出会って、生まれた国が違うだけで考え方、接し方も違うことを感じました。素敵でクールな人に出会って、でもその人との別れが合って・・。私が少なくとも1年はここにいるってわかっているから、だから余計に別れはかなしい。別れは何回経験してもなれないものですね。

ラー君は、自動車学校に行くことになりました。学校、あったんだ・・。バイクは独学でみんな学んでいるらしいが・・。自動車にしても、学校にいって運転を学ぶ人は一握りのような気がします。なんせ、自動車の免許が存在しない国ですから・・・。ちなみに信号も少ないので、ほんとうにめちゃくちゃです。

写真の物体、味噌に似ていて、すこししょっぱくて、野菜につけて食べるのですが、食べ始めると病み付きになります。比較的どこのレストランにもあり、庶民の人気な1品。


ラオス語、今日ははりきって勉強しました。後は、覚えるだけ。ラオス語、すっごく文法が単純でした。ただ、発音がびっくりするほどむづかしい。でも、語学に不可能はない。でも、アラビア語には不可能はあるかも・・。

では 新1週間、がんばりましょ。

日曜日, 5月 07, 2006

土曜日と日曜日

土曜日☆
朝は、せっせと洗濯機と洗濯。で、お昼にはヒース氏も宿泊中のホテルにチェックイン。バイクで迎えに来てくれたヒース君と私の御用達のローカルレストランで舌鼓。泊まったホテルは、いかにもラオスっていう感じのホテルです。壁の白と柱の茶色のコントラストがとっても素敵。今日一日ここですごせるかと思うと、心躍る。踊りながらも、マッサージに行き、体を伸ばしてもらいました。マッサージ師は男の子しかいないけどいい?ときかれ、肩が凝っているから誰でもOKと即答。

写真は(下)私が泊まったホテル。お部屋が素敵。


次は、ホテル見学。
昨年ビエンチャンで行われた、アセアン会議のために建てられたマレーシア人経営のホテル、もちろん日本の首相も宿泊されました、その名もドンチャンパレス。すごい名前ですね。一回で覚えられる名前です。日本語に訳すと、あれ、なんだったか、満月の宮殿。調べます。外観は少しというか、かなりビエンチャンの町にはフィットしていません。が、街に1つくらいはこういう建物もあってはいいのではと思います。街の新しいシンボルというか・・。部屋も拝見させていただきました。ヒース君は、お勤めがヒルトンということもあり、ホテル見学には賛成してくれました。客室は、ご覧のとおり。近代的な客室です。ここでは、案内役のホテルマン、現役のホテルマン、ヒース、すこしホテルで働いたことのあるNGO職員で、バスタブのタブはどこにつけるべきかを討論。ヒースは、バスタブには2人で入るから、タブは真ん中にあるべき。私は、バスタブには1人で入るから、タブは端でいい、ラオス人の彼は、ラオス人はシャイだから、バスタブには1人ではいる、妻とは入らない(と照れながら)千晶に1票。面白いですね。ちなみに、新しくできるヒルトンのバスタブにタブは真ん中にあるそう。オーストラリア人はそれを好んでいるのだろうか・・。



日本の首相は、どこのお部屋に泊まったのでしょうね。


ホテル見学後は、プリシラ(デニソンの奥様で経理部長)と合流し、オーストラリアンレストランで食事。
プリシアは、ベジタリアンなので、彼女と一緒のときはヘルシーな食事ができます。
その後、メコン川岸を散歩。電灯が少ないため、川はまったく見えませんでした。

日曜日☆
感激するほどの快適な眠りに包まれ、少し遅めの起床でした。なんだか、ベッドでごろごろするのが気持ちよくて・・。朝食は、ホテル近くのスカンジナビアンベーカリーに。ここのオムレツには唐辛子が入っていました。ここでは、日本とオーストラリアのコーラの値段の比較、ロンドンまでの航空券の比較、バンコクまでの航空券の比較の話で盛り上がりました。最近、気づいたのは、食事中だと英語を聞く能力が落ちてしまうということ。食事に集中しすぎるのか・・。たしかに、他事をしながらテレビをみると、何のニュースなのかわからないときがある・・。よし、目標が1つ増えました。何かしながら英語の聞きができるようになること。あと、気づくのは、やはりネイティブの人と話すと英語の語彙力が増えるということ。うれしいですね。今日は、ドグルって言葉を学びました。

午後は、マーケットのはしごをしました。どんな野菜が売られているのか、どのように料理するのかなどなど。ちなみに、ラオスでは数多くのハーブ類がやすく手に入ります。まず、ラオス料理には欠かせないパクチーを筆頭に、ミントもよく使われます。アラブだとミント=紅茶ですが、こちらではミント=ラオス料理です。前回紹介したラオス料理のハープにもミントは使われています。豚の顔がどーんとおいてあって、なんだか微妙な気持ちになりました。



そして、今夜は、プリシラ宅にお泊りです。エアコンは壊れたままで、「エアコンなかったら、ちあき、あなた体がとけてしまうわ!」って一瞬ジョークなのかと思ったけれど、彼女は本気で言っており、お世話になることに決めました。エアコンの修理には数日かかるようです。

日本はGWの帰省ラッシュだそうですね。さっき、20日ぶりにホテルのTVでNHKを見ました。こっちにきて、初めてのTV鑑賞。なんだか、万歳しました。

では 1週間、がんばりましょう。明日は、ヒース君が帰国なので、とてもさびしいです。

金曜日, 5月 05, 2006

寝床移動。

エアコンは動かず、「暑い!これじゃあ、明日は気分転換で、街のゲストハウスにでも泊まろうかな?」ヒースが今泊まっている街のホテルは、低価格でなかなかよい。リゾートホテルみたいだし・・。しかも新しい。というわけで、早速ホテルに電話をし、明日の宿泊を予約。ついでに、ヒースの部屋につないでもらって、エアコンのことを話すと、「今から行って見てあげる」と・・。たぶん、プロしか直せないんじゃ・・と思いながら、お言葉に甘えて、「宜しくお願いします」。帰宅したラー君とヒースと3人で、いろいろ策を練るがなおらず・・。結局、修理の人に頼むことに・・。

エアコンも、ファンもない部屋で寝るのはつらいだろう・・というヒースの気配りで、私のベッドはオフィスに移動。写真のとおり。向こう側には、DR.マニパンの机。手前は私の机。明日は土曜日だから、よかった・・・。なんだか、落ち着かないけど、いいねえ、こういう雰囲気で眠るのも・・。



ヒース、ラー君有難うございます。

ただいま。

みなさま、バンコクより戻ってまいりました。暑かった、湿気があった、日焼けをしてしまった、でも有意義な日々をすごすことができました。

ほぼ定刻どおりに飛び立ったタイエアーウェイズ。真剣に新聞を読むデニソンの隣で、朝食抜きのわたしはひたすら機内食を待つ。結局、デニソンの機内食まで間食。そのご、飛行機がゆれ、気持ち悪くなり、最悪の事態に。でも、そんなことはデニソンにはいえず、ひたすら我慢。
気分もよくなり、空港到着後は、バーガーキングで久しぶりにハンバーガーをうれしそうにほおばる私達。ここでも、デニソンの残したポテトを頂戴しました。食欲が爆発してしまいました。ちなみに、ビエンチャンにはファーストフードはありません。反米のせいなのか、ただハンバーガーの需要がないのか・・、一度調べてみたいものですが・・。


2泊3日の間で以下のことをしました。
1、ビザの取得
大使館は、街からかなり離れたところにありました。3ヶ月間のビジネスビザを取得。今後は、IDカードの申請をし、カードを取得後、6ヶ月ビジネス、マルティプルビザを申請(これはビエンチャンで)する予定。今回で、6ヶ月のビジネスビザが取得できると思っていたので、なんか申請の仕方を間違えたのかなあと心配しましたが、リジョナルオフィスのブレンドンがそれでOKだよと・・。これからまだ手続きが必要だよ!と一言。安心しました。

2、事務所に頼まれたUSBを買う
初日にデニソンと、フォーチュンビル(秋葉原みたいなところでした)に行きました。何軒もお店があるので、値段の安いお店を探し、また両替所をさがし、うろうろ。とにかく歩きました。スタッフのDR.マニパンにパソコンを買う予定だったのですが、思ったよりもドル対バーツの両替率が悪かったこと、値段も思っていたより高かったので、購入を断念。

3、リジョナルオフィスのディレクターロンにご挨拶
ADRAについてのイントロダクションコースを受けました。「ADRAについて述べて!」と聞かれ、少し緊張しましたが、知っている知識を一気に放出。

4、ブレンドンファミリーに会う
デニソンもアメリカに行ってしまい、夕食は一人かなあと思っていました、ブレンドンファミリーからのお誘いを受け、食事に行きました。帰り、女性陣はショッピング。私は、赤のポロシャツを買ったのですが、みなさんのご協力の結果、450B→250Bです。現地語が話せるってすごい。現地語が話せると、ただ値切るのではなく、さりげない会話をしながら、コミュニケーソンをとりながら、値段を下げていけるでしょ。一方的ではないのでね。

5、エステに行く
初日の夜は、デニソンはロンとミッションインポッシブル3に行くというので、わたしは某日本化粧会社の経営するエステにいきました。この黒い肌を白くしてほしいという願いを込めながら、1時間半のフェイシャルエステを受けました。1回のマッサージでは、まったく変わりませんでした。

6、ビエンチャンでは手に入らないものを買う(傘、文庫本、化粧品)
梅雨に入ったビエンチャン。傘を買いました。これで、ようやく雨の日も外出できるようになります。ちなみに、今さっき、雨が降り始めました。文庫本は、2冊は古本屋で。2冊は新書で。休みの暇な日にゆっくり読みたいです。化粧品は、セールになっていたので買いました。


バンコクの地下鉄。日本とそれほどかわらない。ちなみに、バンコクは地下鉄、BTS(モノレールのような乗り物)、タクシー、トゥクトゥク、バイクタクシー、バスがあり、公共機関もバライティーに富んでいる。ビエンチャンもそうだったらな・・。

地下鉄の駅。少し暗いけれど、近代的。


帰りの飛行機で。隣に座ったアメリカ人のレイチェル。彼女はジョンホプキンズ大学のお医者さんで、これから3ヶ月間USAの大使館に所属し、なにやら病原菌(?)の研究をするとのこと。アメリカ人の英語は聞き取りが苦手であるが、彼女の英語は理解できました。今度、お食事をしましょといってわかれました。

出発の前日は、日本から旅行にいらしたるみさんと食事に行きました。るみさんもホテル好きってこともあり、ホテルの話や飛行機の話し、久しぶりに日本語の会話を楽しみました。今まで、海外に住んでもここまで日本語に接しない生活ってもしかしたら初めてかもしれません。バンコクでも1回も日本語を使わなかったし・・。なんか変な感じ。

一緒に食べたラオス料理、ハープ(右)。左は、タイ料理のトムヤムクン。


るみさんのとまったホテル。できて4ヶ月。2階建てのリゾート風のホテルです。お部屋も素敵でした。



今日は、私の部屋のエアコンが壊れててかかりません。明日、あさってはお休みなので少しショックです。さすがのラー君もエアコンの修理は無理だろうなあ・・。

火曜日, 5月 02, 2006

バンコクへ

日本は今日からGWウィーク(もう始まっている人も多数でしょうが・・)ですね。

私は、今日からバンコクです。ビザ取得です。先ほど、空港に行って先にチェックインをして、オフィスにもっどって参りました。空港に近いって、こういう利点があるんだ・・。

金曜日の午前の便でビエンチャンに戻ります。荷物は、かるーく、バックパックを半分以上からの状態で行ってきます。帰りは、いろいろと。

では いってきます。