ADRA Japan 「ラオス便り」

水曜日, 6月 28, 2006

ワークショップ。

今日は、デニソンのかわりに、オーストラリア政府の国際開発省(?)AusAID主催のLaos-Australia NGO Cooperation Agreements Programs Workshopに参加をしてきました。本来ならワークショップのために目を通すべき書類をもらっておく必要があったのに、それを読まなかったために(上司がくれなかった・・)、はじめの数十分蚊帳の外でした。今日の議題は、DMとUXO。UXOは、今ラオスでも問題になっている不発弾問題だけど。。。DMは。。何?結局、わからないまま、時は過ぎ、ディスカッションのためにいくつかのグループに分かれた際に質問しました。なんだ、Disaster Managementね。ただ、この言葉、深いね。Disasterは、日本語に訳すと災害。ただ、これは自然災害(Natural Disater)も、人間の活動(Man?made disater)によってもたらした災害も含む。包括的には、森林伐採によって起こる地すべり、その結果生まれる貧困などについても議論しました。また、Disater Managementは、Immediate response for disater, long-term response, Management for disater prevention, Management for disaster responseと別に考えなくっちゃいけないということも勉強しました。ラオスは、地震もないし、洪水がたびたびあるわけではない。なのに、ワークショップの議題は最終的には、Disaster Managementから引き起こされる貧困について考えるのであったのだと思う。

ワークショップ後は、ランチ。今日は、ドンチャンパレスという高級ホテルでワークショップはあったので、ランチもホテル内のレストランでした。それも行ってみたかったレストランの1つ。その際に、WFPのスタッフと相席し、私がWFPの活動に興味がある!ってことでまた機会があったらお会いすることになりました。学び、食べ、知り合い、有意義な一日でした。そして、今、女性をターゲットにした案件の申請書をデニソンからもらい読んでいるのですが、たまたま書いた方にもお会いしました。もしかしたらそれに似た案件を日本ファンドに申請するかもしれないので、そのときは宜しくお願いしますと挨拶をしておきました。ワークショップは、大変だったけれど、出席の機会を与えてくれたADRAラオスに感謝です。

プロジェクトサイトは今・・・・。

ADRAラオスが、ラオス・ビエンチャンに事務所を構えてから十数年。その間に行われたプロジェクト、そのプロジェクトが実施された地域は今どうなっているんだろう。先日、デニソンとサステイナブルについて話したのでなんだかそんなことを考えてしまった。政府から資金を得て、簡易トイレが設置され、ウォーターポンプが設置され、政府と現地住民がプロジェクト後は力を合わせてプロジェクトをサステイナブル(持続可能)にしていくはずだけど・・。もしかしたら、もうトイレには鍵がかけられ、住民の生活からは忘れられた存在になっているかも・・。プロジェクト実施中に、自分たちでプロジェクト終了後もハードウェア(トイレなどの物質的な物)を維持、使用できるようにさまざまなトレーニングを受けるのだけど、もうそこで学んだことがもう彼らの頭の片隅にないかもしれない。政府の役人を信じていないわけではないし、もちろんいまだにADRAが供給したハードウェアを利用している地域だってあるはず。それを一度見に行きたいというのが感想です。もし、私が案件を構築するとしたら、プロジェクト数年後の視察のためのバジェットも一緒に組めるようにしたい。ただ、プロジェクトの数年後はらおすにいるのかはわからない。うむ、またデニソンとプロジェクトの持続可能については語る必要がありそうです。

現在、どこの国の政府からも、プロジェクトを実施してもその後、私たちが直接現場に様子を見に行くための予算はでません。見に行ったとして、じゃあ、トイレ、かんがい設備の破損箇所を見つけ、住民がそれを修理していなくて、それを視察に行った私たちが直すのでは意味がないのかもしれない。この問題はまだ解決には時間がかかりそうです。

今、今、パソコンにインストールされていた曲を数百曲発見。このパソコンを以前使っていた人がインストールしたのかな。嬉しい発見。なぜだか、福山さんの桜坂に癒されている。小田和正の懐かしい、ラブストーリは突然にウォ聞いて、りかを思い出した。大変、ボンジョビもはいっている。

金曜日, 6月 23, 2006

ここ最近。

ここ最近、なぜかばたばた忙しい。

理由その?
新スタッフ、オーストラリア人のティムの家探しを手伝っています。ティムには、奥さんがいて、1歳のベイビーもいます。その家探し。ちなみに、かなりアバウトな通訳をかって出ています。え?何語か?ふしし、英語とラオス語です。って、たいしてラオス語は話せないけれど、「彼らは、月々いくらくらいのうちを探しています」「月々の家賃はいくらですか」「1年契約をしたら、家賃のディスカウントをしてくれますか」などくらいは話せるようになった。かなりの成長。ちなみに覚えた単語はすぐに忘れちゃうけど。今日は、がんばって、夫婦で家を探しにいっているみたいです。私は、一人で探しました←えらそうに(といっても、何人ものサポートを頂きましたが)。みなさま、そのせつは有難うございました。まあ、かなりデニソンには助けてもらったかな。でも、デニソンは千晶も一応一人で探したのだから、徐々にティムも独り立ちさせないとといっていました。

理由その?
来週の秋に向けて、案件(プロジェクト)の構築を進めていくわけですが、その案件の提出先(ドナー)がまだはっきり決まっていません。来年の夏には、日本のJ○○○に申請を考えているのですが・・。ちなみに、月曜日にJ○○○のスタッフの方が4名、ADRAの事務所にいらっしゃいます。ADRAの案件に興味を持っていただいたので今回の訪問が決まりました。どの案件に興味をもたれたかは事前に伺う機会がありましたので、その準備をいましているところです。J○○○ラオスは、NGOとのコラボレーション事業にもとても積極的な印象を受けており、今後仕事をしたい機関です。

理由その?←その?に近いかな。
案件の構築に向けて、デニソンからいろいろな資料をもらいました。それを読むのが時間がかかる。

理由その?
サッカー好きではないのに、なぜかワールドカップを見てしまい、寝るのが遅くなっている。サッカーのルールもしらなくて、ましてやタイ語の解説なのになぜか見てしまう。おそらく、これはワールドカップ終了まで同じであろう。

理由その?
ビエンチャンでの生活の楽しみ方を覚えた。先週は、ラオス語の先生とマーケットに行って、コットンをかってきました。そのコットンを昨日、仕立て屋さんにもって行きました。1枚、2ドルで仕立ててくださるそう。そう、ラオスの伝統スカートの「シン」の寸法もしてくれたので、月曜日に仕事にはいていこうかなあと思います。初めてのシン。はまりそうです。あと、フィットネスクラブ。そして、今度は、同僚のティップとラオスエアロビクスに行ってきます。ただのエアロビですが・・。そんなところです。

遊んでばかりに見えますが、仕事も自分なりには充実(?)し、満足してやっています。
では 素敵な週末を!

水曜日, 6月 21, 2006

ラオスの歴史とモン族

おひさしぶりです。さて、最近、私の心のテーマにもまれになる、モン族。

ベトナム戦争が終結して今年で31年。米軍がベトナムで軍事介入を本格化させる前から、米中央情報局(CIA)は隣国ラオスで「秘密戦争」を展開していたといわれている。CIAはラオスの山岳民族モン族に軍事トレーニングを行い、北ベトナム軍や共産勢力との戦闘に赴かせた。
75年8月にラオスの首都ビエンチャンが陥落。敗れたモン族はラオスで「裏切り者」として迫害され、約20万人が国外に脱出した。

よく、ラオス人が「アメリカに親戚がいる」という。この人たちは、ベトナム戦争後にアメリカに逃れた人々、もしくはその人々の子孫なのかなあと思う。もちろん、「その人たちってモン族なの?」とは聞いたことがないけれど、その可能性は多いと思う。

 1953年10月、ラオスはフランスから独立。その後、親米派と共産勢力との内戦が激化。62年、ラオス中立を定めたジュネーブ協定が調印された。ジュネーブ協定によると米軍は戦闘部隊をラオスに派遣できなかったという。そのため、CIAはモン族に武器と資金を供与し、ゲリラ戦を展開。モン族約3万5000人が戦死、5万人が負傷したといわれている。つまり、モン族は言い方が少し悪いが、アメリカに味方し、最終的には国を負われたのだ。こういう言い方は語弊があるかもしれないが、モン族の犠牲はまったく報われなかったと思う。

ラオスの隣国タイはモン族を歓迎せず、モン族の難民キャンプは90年代に閉鎖されたといわれている。その結果、追い出されたモン族はタイ国内の仏教寺院に避難した。しかし、私が聞いたところによると、タイの北部にいまだに難民キャンプはあるという。

米国にいるモン族のうち、約10万人がミネソタ、ウィスコンシン、カリフォルニア州を中心に移住したそうだ。彼らの1人あたり平均所得は2000年には約6600ドルと発表されている。アメリカ人の年収平均には及ばないが、この収入の一部がラオスにいる彼らの家族に送金され、家族を金銭的にサポートしている。また、ラオスに住んでいる彼らの家族、親戚が渡米を試みる(ビザの申請)そうだが、これにはなかなかアメリカ大使館がビザの発行をしないと聞いている。

月曜日, 6月 12, 2006

金曜日から今日まで。

みなさま、こんにちは。金曜日からの報告でございます。

金曜日はラオススタッフにカチンとし、なんだかいやーな一日でした。でも、出張から帰ってきたデニソンに、「ちあき、元気?」とにっこりと聞かれ、なんだかここ1週間の張り詰めていた気持ちがふっとなくなり、すこしめそめそしながらデニソンに金曜日にあったことを話し、気持ちがすっきりしました。

いわば、西洋人のように(これは偏見ですがラオスではそういう風に言われているそうです)、「NO」「YES」がはっきりしていて、そして、起伏が激しい、気持ちをストレートに表す、怒りをあらわにだす、こういう人々をラオスでは、心の狭い、また短気な人だとみなされます。人の上に立つ人間は、心が広くおおらかでなくてはならないという風にいわれています。実際、こちらにいる西洋人は穏やかな人が多いらしく(そうでないとラオス人をつかっていけないそうです)、先生や政府の上の人間も、たとえ、生徒や部下が間違いをおかしたり明らかに人に迷惑をかけていても、絶対に怒らず、遠まわしに「それは間違っているんだよ」と伝えるそうです。怒っている人間に対しては、ラオス人は耳をふさぎ、そして「この人は心の狭い人だ」とみなすそうです。いわば、相手は一人激怒、もしくは怒り損になるわけです。これは、ラオスの国民性であり、これを変えていくわけにはいかないので、ここにいる以上は、腹を立てても、間違いに気づいても、上に立って物を申す、または怒るのではなく、朗らかに遠まわしに伝えるのがいいそうです。私のように比較的短気な人間でも、こちらに長く住むと、その状況にならざるを得なくなり、ゆったりとした人間になれるといわれました。ほんとにそうだといいのですが・・。でも、間違っていることは間違っているでしょ、はっきり教えてあげたほうがいいのではと私は思うのですが・・。

とりあえず、昨日の朝のミーティングでは、一人激怒、みんなはおそらく私のことを「ちあきは、心の狭い人だなあ」と思っていたのだろうと思います。

まあ、月曜日にデニソンからラオススタッフには話をしてくれるそうですが、デニソンがラオスに赴任した際も私と同じことを感じたそうです。あの、温厚なデニソンでも同じことを思ったことがあるのかと思うと少しほっとしましたが・・・。ここまでは金曜日。

さて、週末は気分転換に楽園(?)フィットネスの「センダラ」のプールに行ってきました。少し泳いで、気づけば、私だけが東洋人?となんとも西洋人に人気のセンダラ。1時間ほど泳いだり、歩いたり、途中でプールで知り合った国連に勤めるタイ人のウィ?ルとチャットして、日焼け止めかりたり、その後はプールサイドで本を読んですごしました。なんとも優雅な日曜の午後。センダラのプールには、目指せヘルシーということで、毎週でも通おうと思っています。

そして、日本も一時盛り上がって沈下した昨日。そう、ワールドカップの日本戦。私は、ビエンチャンの西洋人が集まるパブ「spirit club」で観戦。名前からして、なんか応援の気力がわきますね。日本人10名ほど、あと、ジーコ応援のデニソン、そして、あれは7,80人位いたのじゃないのかな、西洋人たち。全員がオージーかは不明ですが、いいですね、楽観的で、単純で、喜怒哀楽の激しい西洋人(偏見?)の応援を見るのは・・。それだけでも楽しかったです。デニソンは、2?1で日本が勝つと予想していましたが、結果は無残、1?3でしたね。残すは、クロアチア戦、ブラジル戦。それはゆっくり自宅で見ようと思います。

また、写真が添付できません、ので、パブの写真は次回に。

今日(火曜日)は、こちらで仲良くさせていただいているSみさんが、1ヶ月ほど日本に帰国。彼女は、頭も切れるし、知的な、そして私が仕事の相談もできる友人。昨日は、サッカーの後、12時くらいまで一緒にお茶して、たくさん話をすることができました。ラオスで仕事をしながらも、将来のビジョンが少しずつ見えてきている今日この頃。そんなときにはSみさんのアドバイスは参考になるのであります。
気をつけて日本に帰ってくださいね。そして、来月お会いしましょう。

木曜日, 6月 08, 2006

ゆったりとした時間。

今週は、上司のデニソンも出張、そして外国人スタッフがだれもいません。おっと、私だけです。
夕方5時になると、ラオス人はささっと姿を消します。というわけで、私も帰宅が早くなります。

昨日は、ご近所さんにかりた大災難こと、タイトル:カタストル、絶対このタイトルの発音おかしい、カタストロフィーでしょを見ることにしました。が、やはり、中国製。画面が途中で動かなくなり、結末はわからないまま終了。しかたなく、次は何にしようかなとこれもご近所さんの所有で、日本でもはやった「電車男」をみました。でも、これも中国製なので、はじめ登場人物がみんな中国語をはなしてて、やはり舞台の秋葉原は外国人が多いからか中国語かア、いつになったら日本語に・・・でも、少したって主人公の電車男君がなぜか中国語をしゃべっていたので、そこで初めて気づきました、音声が中国語になっていました。で、変更。

夕食は、ビエンチャンで人気のあるインドやさんで、カレーとナンをテイクアウト。トマトを自分で添えて、オレンジジュースといただきました。贅沢なお料理ではないけど、ゆったりとした贅沢な時間。自炊をしない私には、テイクアウトは強い見方。今日は、お気に入りのチャイニーズマーケットの中の、神の手料理人のお店で中華をテイクアウトしようかな。

ちなみに、これが私のうちの一部。タイ航空で頂いた毛布がなぜか、テーブルクロスになっている。この紫色が、私の部屋を盛り上げる!


さて、今、ランチにいってきました。オフィスの前になにやらちいさな屋台があります。毎日、通勤時に前を通るので、何か食べ物を売っているのは知っていたのですが、今日は思い切ってラオス語で「何がありますか?」と聞いたら「フーだよ(ベトナムのフォーは、ラオス語でフー)」では「フー、1つ」と小学生の会話でしたが、注文は間違いなしでできました。少し成長。今週初めは、「コー、フー(フォー)、デー(フォーを1つください)」といったら、「コーね、OKよ」といわれ、コーってなんだろうと思いました。私が注文したのは、フォーであって、コーじゃない、ちなみにコーに意味はないそうです、では私が注文したコーってなんなのだろう、と料理の注文にも一苦労しておりました私も、少し成長です。

水曜日, 6月 07, 2006

EUの説明会と週末の予定

サバイディー。

昨日はですね、デニソンの代わりに、ヨーロッパ連合の人権保護(少数民族含む)プロジェクト助成金の説明会に参加しました。会場はビエンチャン1の高級ホテル、ラオプラザ。EUさんよ、スケールがでかいなあ。しかし、盛大な説明会の割りに参加者数名。でも、少人数制で、質問もできたし、参加した意義はありました。説明を聞きながら、この助成金で自分だったらこんなプロジェクトを構築したいなと考える、しかし、少数民族、私が考えていたのはモン族(いまだに迫害されていて、タイ北部の難民キャンプに住んでいる)の保護と彼らの希望の地への定住。これは、かなり複雑なプロジェクトになりそう。もちろん、ラオス政府に介入しなくてはいけないし、またある意味では反ラオス政府の立場になってしまう。もちろん、構築は無理だとは思うけれど、人権保護のプロジェクトは何が起こるかを想定して構築していかないと、プロジェクトの意味がなくなるか、もしくは人権保護が悪い状況を作り上げる可能性もあるのだ。説明会の後の接待ランチはセットになっており、ホテルのブッフェで参加者と舌鼓。ブッフェはかなり高級なので、まだデビューしていなかった私はそそくさとお料理を取り、席に戻り、また行きと蝶のように羽ばたく。食事の際もラフな感じでEUの方、他のNGOの方と話ができて有意義な時間でした。この助成金担当のフランチェスコ氏を改めてたずねてみようと思いますが、人権保護プロジェクトって一筋縄にはいきませんね。

先ほど、お友達のレイチェルからメールが来ました。今週末、一緒にバンビエンに旅行に行くのですが、なにやらエコツーリズムの会社、グリーンディスカバリーであるツアーを見つけたとのこと。まずは、車で2時間、そしてカヌーで3時間(これがこのツアーのメイン)、そして岸に上がり1時間のドライブ、のツアー。えー、かなりハードじゃないの、しかもレイチェルは毎日ジョギングしているスポーツ万能、私は昔は足も速かったし、スポーツ万能だったけど(自分で言うのもなんですが)、今は運動とは無縁の生活、そして体力はなく、あるのは脂肪だけ。そんな、私ができるのかなあ・・。しかも、土曜日の夜はレイチェルの大使館のお友達とのディナーもセッティングされていて、ぎえー、体力使った後に英語のリスニング、かなり体力的にも精神的にもマックスな旅になりそうです。でも、先ほどOKと返事を出しました。バンビエンでたった1日の滞在で、しかもグーたらしないで、滞在時間みっちり自然に親しむっていうのが、いかにも欧米人らしいですね。

バイクは、かなり慣れました。ラオス人にたまにクラクションを鳴らし、怒って叫ぶようにもなりました。これって、余裕ができてきたのかな・・。ただ単に短気なのかな。私は、目視もきちんとするし、ウィンカーも出す、急に曲がったりしないし、かなりの安全運転(自画自賛)。日本では当たり前のことをやっているだけ。ただ、ラオス人からみたらどうなんだろう、私の運転に悪いコメントがでてくるのかな。先日、子供がバイクを運転していました。足が地に届いていたかなあ・・。さすがに、笑ってしまいました。

月曜日, 6月 05, 2006

楽しかった週末。

金曜日の夜から日曜日の夜まで、ばたばた忙しかったけど、充実した日々をすごせました。
しかも、話してみたいなあと思っていた、アパートのお向かいさん、UNDP(国連開発計画)のUXO部門に勤めている方で、今日偶然会いました。「アーユー、お隣さん?」と聞かれ、今度時間のあるときにお話を聞くことにしました。UNDPは、いつかは働きたい職場の1つです。ミスター、アンディ、いい勉強させていただきます。

では、金曜日。さて、何とかいていいのか、とにかく金曜日にお会いした日本女性Hさん。頭が切れる方でした。しかも、私が大変興味のある分野(1996年に政府が発令した土地分配政策)の調査を今後行っていくとのことで、なんだか私までどきどきしてしまいます。私も同じ分野の研究・調査をいつか実施したいと思っているので、彼女とはよい情報交換ができそうです。また、彼女は、おそらく私と同じくらいの年齢か、少し下であると思います。2人で、お互いの経歴を話し、お互いの年齢を予想しました。同世代で、今後もお互いによい影響を与えられるわ、と思った女性はこちらで4人目。うれしいったらありゃしないです。

土曜日は、アメリカから帰国したレイチェルと食事に行きました。今回は、レイチェルの結婚式(来年の6月予定)の話や、日本とアメリカの結婚事情の違いに大笑いしたり、また少し真剣な話をしました。それは、ラオスのモン族について。金曜日のビエンチャンタイムズ(ラオスの英字新聞)でも大きくとりあげられていましたが、ラオ軍隊がモン族26人を殺したという事実をアメリカが報告、これに対し、ラオ政府は、金曜日にプレスカンファレンスを開催、その席で、「アメリカはうそをついている」と発表。

モン族とは ー ベトナム戦争時代に米軍に協力。CIA(アメリカ)はラオス国内の山岳民族、モン(メオ)族に軍事訓練を行い、ラオスにいた北ベトナム軍や共産勢力との戦闘に赴かせた。しかし75年8月、首都ビエンチャンが陥落。敗れたモン族はラオスで「裏切り者」として迫害され、約20万人が国外に脱出した。そのうち、タイに逃れたモン族は今もタイ北部の難民キャンプに住む。今回、ラオス政府に殺されたといわれている(不確かでありますが)モン族は、タイの難民キャンプで暮らしていた人々といわれている。逃れたモン族の多くは、アメリカにも渡った。

少し、簡素な説明ではございますが、みなさま、おわかりいただけたでしょうか。今、アメリカ政府とラオ政府は微妙な関係であるようです。

日曜日は、Oさんがラオスのここぞという場所に連れて行ってくれました。中国マーケットでは、神の手(今はオーナーが変わって神ではなくなったらしい)といわれている料理人がいた、中華やサンで舌鼓。そして、ラオスで唯一の映画館(ほとんどがタイ映画のようですが、映画館ありました。)、ボーリング場、小さなスーパーがはいっているアイテックにつれてっていただき、少しビエンチャンの都会を味わいました。

今月は、贅沢に2回も1泊2日の旅行に行ってきます。レイチェルとドラゴンボールの世界に似たバンビエン、そしてTさんとショッピングモールもあるタイの北部の町、ウドンターニー。楽しみです。

木曜日, 6月 01, 2006

やりました、自分にプチ金メダル。

あれだけ悩んでいた、バイク。ついに、バイク通勤始めました。
昨日は、バイクで自宅に帰り、今日はバイクで出勤。片道7キロでした。昨日は、初めての長距離(7キロだけど)ってこともあり、なんだか長く感じたけど、朝はそれほどでもありませんでした。時速40キロ。それでも、7キロは20分くらいかかりました。今朝は、同僚のティップにあったので、彼女のバイクについていったのですが、なぜか信号待ちを終え、さあスタートという際にエンスト。残念。で、あわてながら、でもそれが空回りして、どきどき。でも、なんとか出発。と、小さなミス(ミスではないか)はありましたが、無事にオフィスに着きました。
オフィスのみんなが、コングラッチュレーション!っていってくれるのがなんだかこそばゆい。ラオス人にとっては当たり前のバイク通勤。でも、過去、電車やバス通勤の私にしてみれば、バイク通勤はまったくの別世界。そこに、踏み入れちゃいました。それも片方ではなくて、両方。

今日は、映像製作に関わっている方と夕食に行く予定です。私のバイクの映像とってもらいたいです。たのんでみようかな。でも、ただ走っている映像で、アクロバットとかするわけでもないし、面白くない映像になりそうですが・・。でも、ホンダのバイクのCMに使えそう。「日本人も乗ってる、ラオスのバイク、ホンダ。ホンダの国からやってきた日本人も乗り心地に絶賛」みたいな。いかがかな。ただ、帰り道、暗くなると、バイクに乗るのは嫌なので、すこし憂鬱です。まあ、練習だと思って安全運転しようと思います。ただ、帰り道に雨が降っていたら、トックとぅくで帰ろうと思います。

今週末は、今後おそらく仕事でもお世話になる方が(ADRAが立案したプロジェクトにアドバイスをしてくださる方で)正しいバイクの乗り方を伝授してくださるみたいです。明日は、日本のNGOのHさんがビエンチャンに赴任前の下見でこちらにいらっしゃるということで食事に行ってまいります。彼女のNGOの専門はラオスのダム建設。ラオスの開発といえば、ダム、といわれているくらいダム開発。ダム建設はおそらく外貨獲得が目的であると私は見ていますが、ダム建設がどれくらい人々の生活、自然環境に影響を及ぼしているかなどの話も聞けたらと思います。

来週は、書きたいことがたくさんあります。
まず、シェンクアン出張の際に、たまたま知り合ったエネルギー専門の独立行政法人(政府系)の方との会話。今、考えているのは、今後のプロジェクトに持続可能なエネルギーを組み合わせることが可能であろうか。これは、現在、いろいろ相談に乗っていただいています。すごくわかりやすい、的確なアドバイスをので、まとまった時点でまた書こうと思っています。また、シェンクアンの寮建設について。これは、プロジェクトとして申請をしていく方向で進めていくことになりました。また、報告します。

さて、6月に入りました。今日は、一般的にはラオスは休日です。こどもの日?私もお休みと思っていたら、月曜日にお休みじゃないことが判明。でも、今はお休みより仕事が楽しいので、お休みは少しでいいです。企業戦士がんばります。みなさまも素敵な一日を。