ADRA Japan 「ラオス便り」

木曜日, 1月 31, 2008

リーダーとは?

出だし早々、タイトルと全く違う話からはじめるのだが・・。

ここ数日、外務省(MOFA)用のMOUを作成している。MOFAのいうこと、県レベルの農林省が言うこと、ドナーが言うこと、この異なる関係者が言う異なる意見。これをいかに3者とも納得させて、MOUを作成するのか、これに悩まされている。

と、昨日は、私の比較的好きなハンドボールの再予選があった。それを見るために、定時に仕事を終え(我が事務所は、8時始まり、5時終わり)、夕食を帰り道に購入し、5時40分に家に着。残念な結果であったが、【ハンドボールの選手もがんばっているし、応援もすごかったな。私もがんばんなくちゃ】と思った。私ってすごく単純なにんげんだなあ・・・。
そして、そのあとのテレビ番組”プロフェッショナル~仕事の流儀~。”プラント建設現場所長(サウジアラビア)に焦点を当てた45分だった。
その主人公【高橋さん】が言った言葉、
◎リーダーは、太陽であれ
◎誰よりも強く、できると信じている
誰もが厳しいと思う状況で、『できるんだ』と信じる最初の一人になること。そして、それをみんなに伝える。いろんな手立てで伝える。・・・それを伝えられないとやっぱりチームを引っ張っていくことはできないというのは事実ですよね。だからリーダー足り得ないですよね、それが伝えられなければ・・・

ふうん、そうか、とリーダーでもないけど、高橋さんの言葉にうん、うんいいながら、明日からまたあきらめないでがんばろうと思った。人それぞれの活力がそれぞれであるように、私の今の活力は、メディアを通してみる人々のがんばり。仕事の内容も、悩みも、おかれている環境も異なるけれど、目指していることは一緒。

とまた、テレビの影響を受ける、私であった・・・。

木曜日, 1月 24, 2008

北風と太陽

昨日は、見たことも会ったこともないラオス人(ルアンナムタ県の農林局の局長カムレック)に腹を立てた。正確に言えば、彼のMOUのコメントに腹を立てた。腹をたてからといって、何かを破壊したわけでもなく、愚痴を言ったわけでもなく、自分の心のなかでぷち爆弾を爆発させてみただけの小さな怒りであった。比較的短気な私も、ラオスにきてからは少し穏やかなわたしになりつつあった。とはいえ、自分ではどうにもならない事態に、腹が立ってしまったのだと思う。

そんなぷりぷり、ドナーとラオス政府の間でびっよーんとしている私に気づいたのか、今日ADRAの上司S子さんからイソップ物語の【北風と太陽】が書かれたメールが届いた。

S子さん、一部抜粋させていただきます。
【私の交渉のモットーは、まず「北風と太陽」。すなわち「押してだめなら引いてみろ」。「北風と太陽」は有名なイソップ物語だから知ってるよね。相手を尊重しながら、交渉することは大切です。こちらの言い分だけを!!!みたいな交渉をしていたら、いつまでたっても平行線だもんね。】
最後にはこう書かれていました。
【最後に。。。なによりも忘れちゃいけないのは、このプロジェクトは誰のものかということです。私はADRAのものでも、JICAのものでも、ラオス行政のものでもないと思っています。このプロジェクトは、プロジェクトに参加する村の人たち1人1人のものです。】そうなんだよね、忘れかけていた・・、この言葉。

さあ、もうちょっとがんばろう!と心に誓ったと共に、そうなんだ、村の人々が快く参加してくれる、村の人々に歓迎される事業を実施するために、ここは乗り切ろうと強く思いました。

ちなみに、今は、農林省(農林局、農林事務所)の意見、外務省の意見、ドナーの意見をまとめて、MOUの改訂版(ただいま改訂版3を作成中)を作成している最中です。

金曜日, 1月 11, 2008

MOUドラフトのフィードバック

さて、12月28日に提出したMOUドラフトのフィードバックがラオス政府【正確には、ルアンナムタ県農林事務所、ルアンナムタ県投資局事務所、ロン郡副郡長(日本語でなんていうのだろう、副代表?)郡農林事務所】から、帰ってきました。書いてある、書いてある、勝手なことやら、後ろに倒れそうになること、うん、最もだ!という素晴らしい意見も書いてある。また、ラオス政府の人間が、私たちの作成したMOUドラフトを熟読(?)してくれたんだなあ・・と思うと、なんだか嬉しい。

ありがたい、彼らのコメント。

今週は、頂いたコメントにどう回答するか、どの項目をADRAとして検討すべきか、にらめっこし、ようやく目処がついたところです。

MOUのことを考えすぎて、仕事中に、しかも急にどこか他の国に遊びに行きたくなった。でも、すぐにはどこにも行くことができないから、机の前に世界地図を貼った。世界地図で見ると、ラオスと日本はとても近く見える。今は、メールもあるし、スカイプで話だってできる。日本をとても近く感じることができる。ラオスに来てあと3ヶ月でちょうどまる2年。2年目を迎えるころには、私にもやっと日本人の同僚が、ここラオスにできる。日本人同僚、万歳!と、最後は、いつものように話がそれる・・・。

月曜日, 1月 07, 2008

新年あけましておめでとうございます。

祝2008年。あけましておめでとうございます。
2007年は、なかなか更新をする機会がなく(更新する機会は作るべし)、2008年はかずさん(小出さん)を迎えることですし、頻繁にブログの更新をしていきたいと思います。
さて、ADRAラオスの仕事始めは1月2日。ADRAジャパンは1月7日。これだけみると、ラオス人のほうが勤勉?って思、わないか。だね。ジャパンオフィスは、29日からのお休みなので、10連休。すばらしい。ジャパンのスタッフは本当に働き者なので、今回はゆっくり静養してください。

さて、みなさまはどんな2007年をお過ごしになられましたか。私は、いろいろな出来事があった年でした。
そこで、じゃじゃじゃーん。2007年ちあきの重大ニュース
1. 2006年春以降あたためてきたルアンナムタ県の事業がJICAに採択されたこと。これは、2007年の一番のニュースです。
2. 新スタッフ・かずさんをラオスに迎えることになったこと。
3. 愛猫のひで様がトカゲを食べて、調子が悪くなったこと。とかげには、毒があり、それをちょっと食したひで様は嘔吐を続けました。
4. ビエンチャンのレストランで、生の海老を食べて、食中毒でタイの病院に入院したこと。その際、1泊2日で3万円かかりました。傷害保険に加入をしていて本当に助かりました。その日以来、生の海老は食べなくなりました。
5. NHKの土曜ドラマ【ジャッジ】の舞台、喜界島を映像で見たこと。すごくきれいでした。
日本の海ってそんなにきれいではないという私の偏見を覆しました。
6. 実家が千葉県に引越しをし、千葉ロッテを応援したくなったこと。

早速、次回のブログは、ラオス事業の進捗報告をしたいと思います。
どうぞお楽しみに。