ADRA Japan 「ラオス便り」
月曜日, 7月 28, 2008
火曜日, 7月 22, 2008
金曜日, 7月 18, 2008
火曜日, 7月 15, 2008
スンタラと私
6月から始まったアタプ教育事業のスタッフ・mr.スンタラと私の話。彼は、チームリーダー、36歳。
1、スンタラから提出された事業で購入してほしいものリストのなかによくわからないものが書いてあった
例1・Tap いろいろ考えたけれど、最終的にtapeってわかったわ。
例2・Penci これはわかるよ。pencilでしょ?
2、冷蔵庫は買わないの?って聞かれた。なぜいるの?うちは、レストランじゃないのよ、とこころの叫び。結局、事務所にあった使われていない冷蔵庫を事務所に持ち帰る
3、【文房具やに忘れ物をしたから、ワークショップの後にちょっと寄ってとってきて】と電話でいった。その30分後、【ちあき、今、文房具やについた。君はどこにいるの・・・】
4、【スンタラ、あなたのPCは正式ではないソフトが入っているから、今度ビエンチャンに来る時にPCをもってきてね。削除して、新しいのをインストールするかた】【うん、うん、うん】ビエンチャンにあらわれたスンタラ。【あれ、PCはどこ?】【プッタビ(他のスタッフ)がもってっちゃった】。今も、スンタラのPCにはイリーガルなソフトが入っている
5、
ス:【ちあき、ワークショップの参加者で、バイクで来ている人には、距離に応じてガソリン代をはらうことになっているね。】
ち:【そうね、バイクの人は何人いるの?】
ス:【7人かな?】
ち:【でも、バイクは4台しかとまっていないじゃん。】私、わざわざチェックに行く。
ス:【みんな、知り合いのうちにバイクをとめたみたい】
ち:【じゃあ、バイクで来ているののかどうかわからないじゃん】
ス:【・・・・・】
ち:【じゃあ、みんなに伝えて。バイクがなければ、ガソリン代は払わないよって。】
ス:【OK,OK】
でも、次の日もとまっているバイクは同じ台数だった・・・・。
月曜日, 7月 14, 2008
Home of light の訪問
日本人会のバザーが9月にある。
そこで得た収益金を、どこかの団体に寄付できれば、ということで、ここ数日、寄付先を探していた。
以前、NGO仲間に【目に見えない子供たちの学校がビエンチャンのシカイ村にある】と聞いたことがある。
たまたま、友人のてっちゃんが今日、そこに行くというので、日本人会のバザー売上金の寄付先の候補になるかもしれないと思い、ついていった。通常は、お菓子などを持参するということで、私も途中、クッキーを買っていく。60個。
学校の名前は、Home of light。光の家だ。
今日は、フランス人の支援者の人が今日はゲストに来ているということで、生徒たちがみんな、コミュニティーセンターに集まっていた。みんなで、おかしを食べながら、歌ったり。そんな風景を見ながら、子供たちが今必要としているものは何なのだろうと、考える。個人個人のものがいいのか、学校に1つ何か?頭がごちゃごちゃになる。ただ、消耗品は、日本人会としてあまり好ましくないみたいだ。
代表のマニライさんから、【日本の歌をうたってください】といわれ、選択したのは、【歌えバンバン】。日本らしくもなく、得意な歌でもないのに、それしか出てこなかった。でも、ノリがいいこの曲。始めは、子供たちも手拍子をしてくれた。久しぶりのアカペラ、マイク。子供たちは、意味もわからない日本の歌を喜んでくれる。
マニライさんからは、今、学校が必要としているのは子供用の杖と聞いた。
大人用の杖は、すでのどこかの団体が寄付をしてくれたようだ。てっちゃんいわく、大人用の杖も子供用に改造できるとのこと。ただ、現在学校にある大人用の杖も数に限りがあり、大人用の杖を子供用に改造すると、大人の杖が足らなくなるようだ。
そして、生徒たちの身の回りのお手伝いをしている人からは、洗剤。風邪薬。どちらも消耗品だった。
消耗品は、日本人会の寄付としてはむずかしいときいているが。でも、消耗品だから寄付できないですね、という方向は、まさにドナードリブン。
18日のバザーの打ち合わせの際に、他の担当者に話をしてみようと思う。
光の家を訪れて、生徒たちに出会い、思ったこと。今の彼らにとって、入ってくる情報は人間からのみ。それも、先生であったりとかなり限定されている。学校にはテレビもラジオもない。でも、だからといって、テレビをプレゼントしたくはない。彼らが、自分たちで物事を考え、行動し、そして生きていくために何が必要なのだろう。そう、考える力、想像力、あとは・・・前読んだ本にcognitive,physical,social and emotionalの発達が子供には必要だと書いてあった。そう、それそれ。本だよ、本だよ。
その結果、彼らに点字の本をプレゼントしたいなあと。てっちゃんいわく、点字用のソフトとプリンターがあればできるみたい。ラオスの本、ラオス語に訳された日本の本(これは日本のNGOから拝借したいな)の点字本を作り、みんなに本を読む機会をプレゼントする。私は、子供の時に、母がよく絵本を枕元で呼んでくれた。でも、子供たちは、絵本を読んでくれる両親は近くにいない。だったら、私たちで絵本を読む機会を作ってあげられれば、そう思いながら、帰りの車で、てっちゃんと今後どうする?の話をしながら帰った。どんな本がいいのかな、主観が入りすぎる本の選択はいけないいけない。今でも思い出せるストーリー、私の好きな本、いやいやえん、」でしょ。手袋を買いに。怪獣たちのいるところ。
物資のみの援助は、一時的に人々を喜ばすものだけであり(この場合は子供)それはどうなのだろう・・・と今まで思ってたけれど、お菓子をもらった時のあの子供たちの笑顔、歌を歌っている時の顔、目が見えない中を手を取り合いながら、歩く姿を見て、そういう援助もありなのかと思った。
生徒たちの部屋ーとてもきれいに片付いていた。
木曜日, 7月 10, 2008
自力で復活
ここの所、すごく忙しい日が続き、ついに体調を壊した。
昨日は、嘔吐した。顔が青白いといわれて、今朝も(化粧のせい?)青白い気がした。
おなかも痛いし、仕事を休もうかと迷った。15分遅刻はしたが、一応事務所にはやってきた。
でも、体調はすぐれず。何が原因なのか分からなかったが、もっていたベンザブロックを飲んだ。整腸剤も飲んだ。それでも、すぐには良くならず、ベルギークリニック(ラオスで唯一の先生が外国人のクリニック)に行こうかどうしようか、迷いながら仕事をした。点滴して毒素とかなくなれば、でも、どうしようかなあと思いながら、ミーティングルームで少し眠ろうと、ミーティングルームのドアを開けた。あ、先客が。ミーティング中だった。あ、冷汗が・・とどうこうしているうちに、仕事に集中し、気がつけば、少し体調は改善した。
今日は、とにかく休みたくなかった。この忙しい時期、1日休んでしまうと、1日分の遅れを取り戻すのは大変だ。気力は病気をもやっつけるのだ。
今週末からは大相撲。北京オリンピックまで残り29日。
それらのテレビ観戦を楽しみに、明日も突っ走る。
次回は、6月9日に始まったADRAラオスの教育事業のスタッフを紹介。私は、ADRAラオスにADRAジャパンのスタッフとして参加をしている。
月曜日, 7月 07, 2008
連帯保証書
連帯保証書を英語で作成した。するつもりだったが、まったく保証ができなさそうな保証書ができあがった。
それを、すいませんの気持ちを込めて、上司のグラントに提出した。
ち:【これは、おそらく英語の問題。すいません。ここまでしかできない・・】
グ:【おお、グッド。サンクス】
グ:【これで大丈夫だよ】私の心。どきどき。【本当に大丈夫?保証書だよ!!】
さて、連帯保証書、私が保証人になるわけではありません。今回、新しく始まった事業の四半期分の予算をドナーに提出をするのですが、その際一緒に【連帯保証書】の提出を求められます。もちろん、保証人はADRA。でも、ADRAがお金をもらうのに、ADRAが保証人っていうのもなんだか変な話。保証人は第3者じゃなきゃいけないのに。しかも、その保証書、ドナーの人が言うには、【ADRAがお金を持ち逃げした場合、もっと極端な例で言えば、ドナーよりお金を振り込んだ後、委託業務が実施されないまま、受託者側が雲隠れし、お金を持ち逃げされたという事態を避ける必要があります。(信頼関係上、そんなことはありませんとおっしゃるかもしれませんが、「契約」という形態では万一の場合を想定することになります)】であるから、証明書の提出が必要になるのよね。でも、お金を受け取るのもADRA、保証書の債務者もADRA.やはり、おかしいよね。双方とも同じ団体なのは。
保証人なんて、私の中では映画やテレビでのお話。あ、特にミナミの帝王とか。しかも、保証人になった人は必ず不幸になるのがミナミの帝王。
と、前置きが長くなったが、四半期予算申請書と共に連帯保証書を提出すれば、その1週間後にはお金が振り込まれる。今までの経費は自己資金だから、そのお金をようやく回収できるってわけです。