ADRA Japan 「ラオス便り」

木曜日, 7月 27, 2006

胃腸の弱さはラオスでも・・。

ちびまるこちゃんの山根君ほどではないが、私は胃腸が弱い。が、食い意地はとてもはっている。
何でもたくさん食べたい。今は、千晶バジェットの問題もあり、食べたいものを何でも買うことはしないけれど・・。

ちなみに、昨日の食事
朝:何も無し
昼:西洋クイックフード(テイクアウトしました。ダニエルの分も)。アップパイ(嬉しいことに50%引きでした)とガーリックトースト、そしてラオスの青菜のすっぱいサラダ、ラオス語でソンパック(約10円、これは安い)。比較的良心的な合計お値段。
夜:焼き魚ともち米とまたまたソンパック、初めての焼き魚。一緒に友人宅を訪問した猫と共に大興奮。
おやつ:ラオスの蜂蜜とヨーグルト

今日の朝、唐辛子の入ったカオプーン(米の麺)を張り切って屋台でかって、オフィスで満喫。ようやく、部屋に充満していた唐辛子のにおいが消えてきた・・。

そして今、おなかを壊してダッシュWCへ。何がいけなかったのであろう。夜の魚か?では、一緒に食べたグラッドもおなかを壊しているのか。でも、彼女ちょこっとしか食べていなかったけど・・。もしくは、私が食べすぎ?食べすぎなのか、悪いものを食べたのか。。。

こっちにきて、本当によく食べます。たくさん食べるのに、スレンダーなボディの隣人ともみんにも、「わたしより食べる人って見たことないけど、千晶さんはよく食べるよね」って言われました。

今日の午後は、ユニセフ訪問。途中でおなかが痛くならないように、ランチは控えめに。食べないほうがいいのだろうか。

金曜日, 7月 21, 2006

フィールドワークの最終日、こんにちわ、子供たち。

さて、4日目は、学校のハンドオーバーセレモニーに出席のため、2つの学校を訪問。ので、フィールドワークではありませんね。

2つの学校までは、ルアンナムターから車で4時間、エンジン付のスピードボートで30分。ですので、朝の6時出発でした。途中ボートの上で、スコールに降られ、カッパも傘も何の役にも立たず。べちょべちょになる一幕もありましたが、スタッフ・教育省のスタッフは笑顔。でもセレモニーに出席する私たちが、お漏らしをしてしまった子供のような身なりには、すこし爆笑。


この2つの学校、実はADRAが建設したのではなく、ADRAが修復したもの。担当は、エンジニアーのタナラート。彼の元彼女は日本人にそっくりだそうです(余談ですが・・)

私たちがつく時間が村に連絡してあったのか、ぞくぞくと学校に村人が集まってきました。異国の(異国だけどね)人間に、みんな一瞬ぎょっとする。確かにこの村には、外国の援助は入っていなく、旅行者なんて来ないし、外国人自体を見たのが初めてなのかもしれません。子供たち、笑顔はとっても素敵だったのですが、なんだかみんなやせていて、健康とは程遠い状態。おそらく、ラオスの地方の村の人々って同じ風貌

スピードボートです。途中、エンジンが壊れ、手漕ぎボートに変身。こいでいたのは、なぜかセレモニーに同席する教育省のスタッフでした。普通、こぐのは船頭さんでしょ。

1つ目の村


修復した小学校。教室は2つ。小さな椅子に座りながら、そよ風を感じ、大雨だったら雨が降りこんで来るんだろうな、教科書ぬれないかなと少し心配になる。


セレモニーが始まるまでは、クイズ(算数)。なかなかシャイの子供たちは手を挙げず、私一人で手を挙げる。が、デニソンにはもちろんあてられず・・。


何を見るために乗り出しているんだろう・・。


2つ目の村

今回のセレモニーでは、子供たちに教科書をプレゼントしましたが、カム族独自の言葉を通常話す子供たちにはラオス語が話せるのかな。セレモニーは、ラオス語で行われたので、おそらく理解はできるのであろうけど、カム語はおそらく話し言葉であり、書き言葉ではないはず。そんな彼らへの、教科書は素敵なプレゼントなのかなあ・・。

この彼女の笑顔がとても印象的でした。私の左手が邪魔ですが・・。


調印式(この後、学校は100%村に返還されます。村長とADRAの長のサインが必要です)
これからは、自立発展性をもっていかに学校を維持していくのかは村人たちの仕事。私としては、数ヵ月後にこの村に戻ってきて、学校の様子を見てみたいもの。ただ、現在の政府のファンドにはそのためのバジェットはありません。


この学校のトイレの鍵が壊れていました。10センチほどドアが半開きの状態では、なんだか用事を済ませれた気がしなかった。だれか扉を押さえといてよ(怒)

明らかに貧しい村、ただ、貧困=不幸せとは限らない。これは、ラオスに来て感じたこと。お金はないが、家族がいて、お互いが支えあい助け合いながら、昔からの伝統を守り、力強く生き抜いている。開発ってなんだろう、貧しいってなんだろう、私がやっていることって何になるんだろう、出張に行って常に思うこと。


いつかこの村に再び戻って来ることができればと思い、村を後にしました。帰りもでこぼこ道を通ってルアンナムタータウンを目指して、村を出発し約5時間後に到着。

木曜日, 7月 20, 2006

ルアンナムター生活、3日目

3日目は、ADRAラオスが今年の3月より実施しているLRMPHプロジェクトの見学。プロジェクトサイトになっている、いくつかの村の見学でした。合計5つ。それぞれの村がそれほど離れていないとはいえ、雨降り、足元の悪いなかの徒歩移動は大変でした。3つ目の村までは、川を越えました。

朝、事務所を出発するときに、「今日はボートに乗るからね」というわれていましたが、実際はボートとくくってしまっていいのか、渡し舟でした。日本語だったら、そういわれれば、さっと頭の中にピクチャーが出来上がるけれど・・。英語のボートって意味が漠然としています。

角度を変えると・・。このブルーの服の彼、坂道では手を差し伸べてくれて、とてもやさしいスタッフ。


2つめの村は、

村の衛生状態は最悪のようでした。ADRAが水供給の援助はしているので、水不足の問題はないのですが、これは衛生・保健に関するトレーニング、知識が必要です。

ADRAラオスが、オーストラリア、韓国の援助で建設した学校。今は、夏休みなので生徒を見ることはありませんでしたが、私の目指す、プロジェクトは「自立発展性」あるものに・・はクリアー。メンテナンスも村人の手によって行われているみたいです。このままの状態の継続を祈るばかりです。


すべての家は、高床式になっています。そうでないと、雨季の時期は雨に流される、または汚水が家の中に入ってくるおそれがあります。基本的に、家の下には、豚や鶏なのどの家畜が住んでいます。




さて、このLEMPHプロジェクトについて簡単に説明をします。LEPMHとは、Luang Namtha Ethinic Group Health Projectの略です。12の民族(私は12のすべての民族の名前がいえません。勉強中)野村と7つの学校の小学生をターゲットとし、公衆衛生の向上を目的としています。要は、水と衛生ですね。水は、GFSシステムを使い(これは特に電気を必要とせず、標高の高い水場より重力を利用し、村までパイプで水を運びます。パイプの間にタンクを設置して、堆積物を取り除くようにもします)。今度、GFSシステムについてはきちんと説明しますね。そして、保健に関する村人の知識を高めるためのトレーニング、村には簡易トイレを設置します。簡易トイレは、私としては、なかなか自立発展性につなげるのが難しいと思います。まず、トイレで用を足す習慣がない、また乾季は水が豊富にはないので、汚物を流す水を使うよりもほかの用途に使いたい。この問題などを解決していくのがわが、LEMPHチームです。

これは、ADRAが設置した水場。水は、山の泉より。近くのすぐ村の脇を川が流れていますが、水はとにかく汚いし、村よりも低い場所にあるので、川の水は生活用水には使っていません。

月曜日, 7月 17, 2006

出張報告 一日目と二日目

ルアンナムター県に出張に行ってまいりました。4泊5日。今回の目的はといえば、ADRAラオスのプロジェクトの90%はルアンナムター県で実施されているため、1つは、既存のプロジェクトの見学、そして来年の春を目途にルアンナムターでの新案件を構築していく予定なので、そのご挨拶(ルアンナムターオフィスのスタッフや政府の人)でした。

1日目は、午後にルアンナムターについたので、事務所に挨拶、そしてプロジェクトの説明を少し受けただけで終了しました。ADRAルアンナムターオフィスのスタッフの一部↓。基本的に私と接触のある人々ばかり。温かい人たちでした。特に男性スタッフは、フィールドワーク中に手を差し伸べてくれて、私の手を引いてくれて(もちろん既婚の男性でした)、おかげで後ろに転倒は1回しかありませんでした。スコールに降られたときは、自分のレインコートを貸してくれて、おかげで私は少しぬれただけ。かれはずぶぬれでした。ラオスの男性って、すごく優しいんだなあと改めて思いました。カメラマン:ダニエル


2日目は、アジア開発銀行、オーストラリア政府からファンドを受けているナムハープロジェクトのアクティビティーが実施されている村を訪れました。と、この村までの道、一応国道なのですが、写真をみてください。現在、アジア開発銀行からローン優勝資金援助をえて、道路工事が始まってはいるものの、この道路を普通に花知れるようになるのは、何十年先でしょうね。
今の時期は、雨季なのでとくに道路の状態が悪いです。

この道を走ること3時間弱。距離にすればそう遠い村ではないのですが、とにかくこのような道が続くのですから・・。訪れた村内は、雨季のため、どうろがくちゃぐちゃ。数メートル歩くのにも何十秒も要します。まず、この付近の村、病気になったらアウトです。病院なんてものはありません。ましてや車のない村人、いったいどうやってけが人や病人を運ぶのでしょうか。また、村をぐるーりと歩き、栄養状態の悪そうな子供たちをたくさん目にしました。顔も青白いし。。。

野菜は、プロジェクトのアクティビティーの1つで、斜面にテラスを作り、育てていく予定。私もテラスについては院のときに少々勉強しました。ので、興味しんしんで、現在65歳くらいのテクニカルマネージャー、ゲリーの説明を食い入るように聞きました。ゲリーの写真。

野菜も彼の手にかかればすくすく育つ。私もこの場所にテラスを作るのは正解だと思います。あとは、テラスをいかに維持・コントロールしていくかを村人に教えなくてはなりません。

↓テラスの写真。日本のテラスと違いがありますか?テラスの一番脇に、実験用として野菜を何種類か植えました。どれも、土壌の栄養状態が悪く育ちが悪く・・。そのため、マニュアーができたら、すぐ斜面の一番上から散布する予定。

このテラスフィールドで持続可能に野菜を栽培できるように、化学物質の肥料などは使いません。すべて、バナナの皮、とうもろこしの皮などを原料にしオーガニックマニュアーをつくり、それを野菜栽培に使います。そうすれば、肥料代などもかからず、村人の出費の負担はかなり減ります。

今現在は、斜面に少しのお米やとうもろこしを栽培しています。食糧不足に悩んでいます。所有している家畜は、何か祝宴などのときにしか食べられないのだそう。売る作物もなければ、作物も育てる場所もない、健康状態も悪い、学校もない、医療を受けられる施設もない、そんな場所に一番今必要なものはなんなのでしょうか。欲を言えば、何でも必要かも。ただ、これは村人の意見を聞くのが最優先。また、ニーズ調査が必要である。

さて、町の横断は時には丸太で。もう、滑って落ちたらどうしようと、昔の平均台感覚で、ひょここっととはいきませんでした。赤土が靴の裏に吸盤のようにへばりついて、進む1歩1歩がなかなか進めない。また斜面に作られた村なので、村内の移動も大変でした。

村の写真。大雨が降ったら、家が傾いてしまいそう。


1、2日目は終了。過酷な3日、4日目は近日公開予定。

金曜日, 7月 14, 2006

無事に帰ってきました。

ただいまルアンナムター県から戻りました。ブログをながーく留守にしてしまいましたが、来週から少しずつ出張の報告をします。出張じゃないな、フィールドワークです。竹船で川を下ったり、泥道を歩いたり、楽しいやら、危ないやらの5日間でした。こんな人里はなれた場所、そして電気もない、時には人間の脅威となる自然と100%向き合って生活している人がここにはこんなにいるんだと知りました。自然の産物を上手に利用し、森林を愛し、森林に宿る精霊を崇拝し、そして自然に感謝し、自分たちの文化を尊重している、そんな彼らの考え、生活は変えないで、うまく彼らの生活をサポートしていこうと心に誓った旅でもありました。

では 今日は帰宅します(今、夕方の5時半)。また、来週からがんばります。
同行したダニエルが数百枚の写真を撮ってくれました。もちろん私もたくさん写っていました。報告と一緒にブログに添付します。子供たちの笑顔が今も心に焼き付いています。

みなさま よい週末をお過ごしください。

木曜日, 7月 06, 2006

久しぶりのブログ。

長い間、ブログを書かない日が続いていました。お久しぶりです。

ラオス人スタッフとちょっといざこざがあってから、お互いの気持ちが通じあえるように、わかりあえるように彼らとの毎日の会話、笑顔、相手を敬う気持ちを大切にしています。そして、ついに私も「ラオスの娘さん」といわれるようになりました。ラオス人女性の洋服、シン。スカートです。シンは愛用率100%に近いのじゃないかな、この国は。ラオス人女性の体の一部になっていますね。シンを穿くようになって、なんだかラオス人との距離がちじまったような気がします。人間の関係って、そんなに単純ではないですが、今の私には今後一緒に仕事をしていくスタッフは大事。なんだかんだいっても、大きなパワー、協力をもらっています。だから、彼女たちと同じ洋服を着る、それだけでも嬉しいのです。シンは巻きスカートなので、バイクにも乗れます。シン、すこし華奢なサンダル、長い髪、格好だけはラオスの娘さんです。私もまだ、シンは2着しかないですが、これからすこしずづ増やし、最終的にはシン愛用者になれたらと思っています。なんだか、自分の気もしゃきっとしますし。


今もっているシン。左のグレーは、結構愛用しています。綿100%なので、肌触りもよし。

これから、ラオス語レッスンです。最近は、再びラオス語に燃え出しました。というのも、来週、ようやくADRAラオスのプロジェクトサイト地に1週間ほどいくのです。そして、8月にも。それまでに、なんとかとかなり無謀な考えですが、たくさんのラオス人と直接話したい、そんな気持ちがただいま語学きちがいの私を作り上げました。この調子です。

来週は、北部の県に1週間出張します。そのときの様子は毎日報告したいと思います。